「辿りつくまで」の最終回を、私は民謡の「お立ち酒」でしめくくった。この唄は十ヶ月の間つきあってきた作中人物たちへの、惜別の想いでもあった。
去年の五月に連載が始まったころ、私の脳裏にはまだ結末の具体案は浮かんでいなかった。テーマみ沿った大筋だけで書き出しながら、設定した主人公たちがいきいきと動き出すのを楽しみに待っていた。
都市と農村を舞台に、そこで暮らす家族のありようから、新しい生き方を追求するというテーマは、予想以上に厄介なものだった。私は今まで、自分が農家に生まれ育って、二十七歳まで村で暮らしたという体験だけを頼りに、幾つかの農村小説を書いてきた。
今度はそれに、二十余年になる東京暮らしをダブらせて、家族の愛憎ドラマを描こうとしていた。テーマの背景には日々に厳しくなる農村問題があり、地価高騰で生活に夢をなくした都市生活者の問題がある。その現実に絡めとられた人間たちを、どれだけリアルに描き出せるか、自信はなかった。
私は郷里にあるブドウ生産地へ取材に出かけ、友人、知人、肉親などから農村と農業のさまざまな実態を、じっくり聞き出した。その結果、ブドウ作り農家の主婦、牧原志津代・五十七歳という主人公が、私の意中で誕生した。彼女は世代的に私の分身である。
戦後の二十年代に青春を送り、嫁しては旧い意識としょうとめに仕え、夫や子供を大切にして、骨身惜しまず働いた。真面目でひたむきに生きる姿勢は、日本の農婦の一つの典型といえる。私も村で結婚していたら、同じ道をたどっただろう。
そんな思い入れで私は、志津代に幾つかの重荷を背負わせた。運命ともいえる初恋の男との過去、長男出生の秘密・・・。夫の病気や子供たちのさまざまな問題は世間並み名女の苦労だが、人は自分の傷みで他人の苦痛がわかるもの。私は志津代に、しんの強さと心の深さとやさしさを求めた。
その志津代を中心にして、千春、雅人、直樹の子供らが、それぞれの生き方で絡み合う。核家族化によって孤立した本多八重は、「よってたかって、百姓を喰えなくしやがって・・・おれは、ボケてなんかいねえぞ!」と叫ぶ。彼女を死へと追いつめながら、私は何度も涙をにじませた。
家族の問題は、つきつめれば男と女の世界になる。離婚、不倫、女の自立と、テレビドラマの種にこと欠かない。東京のデパートに勤める雅人が、日常の息苦しさからつい浮気して、身の破滅を招くいきさつは、現代のサラリーマンなら嗤えないだろう。
志村苑子の、おかめと般若の二面性は、女のだれでもが本性の底に潜ませているのではないか。島崎めぐみの、さわやかなかわいさの裏にも、夜叉の面が張りついている。
小説というものを、こんなふうに読んでもらえると作者はうれしいのである。連載十ヶ月の間に、主人公たちはそれぞれ自分の結末にたどりついたわけだが、新しい生き方になったかどうかはわからない。
季節や社会情勢に合わせ、同時進行のつもりで書いてきて、つくづく感じたのは、世相の移ろいの早さである。海外や国内事情、経済や農業問題・・・どれもろくに考えるヒマもなく超スピードで過ぎていく。私たちはその波間で、モノとカネにおぼれかけているのではないか。小説として、この現実をどれだけえぐれたのか、と書きながら悩んだ。
幸いにも何人かの女性読者から、共感や励ましのお便りをいただいた。直接電話を下さった方もいて、随分気持ちが楽になりうれしかった。そして、忙しい時間をさいて、活字に親しもうとされる熱意に打たれた。
どんな人生でも、たどりついた先に新たな明日があることを、一編の小説の中に読み取ってもらえたら作者みょうりにつきる。ご愛読下さった皆様と、新聞関係者の方に心からお礼申し上げたい。(杜父魚文庫より)
631 631 早すぎる世相の流れ 一ノ瀬綾

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