655 655 一葉(樋口夏子)没後106年 杉山武子

11月23日は明治時代の作家樋口一葉の祥月命日。亡くなった1896年(明治29)から数えて今年で没後106年になる。十数年前、仕事で東京出張の折に1日滞在を延ばして、秋の東京を散策したことがある。渋谷駅界隈の雑踏を抜けて区立松濤美術館へ寄り、その足でさらに駒場公園内の日本近代文学館へ行った。
日本近代文学館には、一葉の妹邦子の令息樋口悦氏から一括して譲渡された396点の一葉コレクションがある。目録によれば日記や小説の草稿類33点、一葉宛書簡332通、遺品その他などの内容になっている。常設展示ではないので、現物の閲覧には一定の手続きが必要となる。
その日はちょうど今ころで、駒場公園内は紅葉に彩られ、なかでも銀杏の大木がひときわ目を引いた。木全体から絶えず金の蝶が舞い降りるさまも、地面を覆いつくした黄金のじゅうたんも、印象的だった。
一葉は15歳のころから日記をつけていたが、亡くなる年の7月22日でそれも途切れた。この春に発病した肺結核の病状が進み、夏には筆をとる体力も失っていたようだ。一葉のことは後にいろいろな人が書き残している。それをいくつか紹介して、在りし日の樋口一葉を偲びたいと思う。
<29年の4月ころでした。お夏さん(一葉のこと)の咽喉がひどく腫れていました。それでもよほど我慢しておられたようですが、8月に入ると熱が9度にもあがってやすんでおられるというのです。さっそくお見舞いに上がりましたが、薄い古ぼけた夜具を屏風のかげにして寝ておられ、胸の病のひとの常として熱のため頬が赤らみ、呼吸づかいが荒く、いかにも苦しそうでした。(戸川残花の長女戸川達子の談話より)>
10月、斎藤緑雨が森鴎外に頼んで名医青山胤通が一葉を往診したが、いかなる加療も無駄とすげなく絶望を告げられたという。彦根に赴任していた馬場胡蝶が最後に一葉と面会したのは東京に出てきた11月3日。妹の邦子から「逢えとはいわぬが寝ている所を見て」と言われて対面している。一葉は気は確かでも呼吸は苦しそうで、解熱剤の副作用で耳も遠くなっており、邦子が二人の会話を取り次いだ。
胡蝶が「また来年の春には出て来ますから」というと、一葉は「この次あなたがお出でになる時には私は何になっておりましょうか。石にでもなっておりましょう」と答えたという。
一葉の親友だった伊東夏子は一葉の死亡通知を見たとき、今行ってどうなるものかとやけの気持で行かなかった。あくる日行くと、邦子がかけだして来て「あなたに見せるまではと思って棺に納めないで寝かしておいたのに、なぜ昨日来てくれなかった」と、ゆすぶって泣いたという。伊東夏子は昭和25年1月に「一葉の憶ひ出」で、次のように書いている。
<夏子さんは、割合に、同情されていませんでした。それはあの頃、男子の小説家でも、水商売だの道楽商売だのと言われていた位で、若い女が、小説で、母妹を扶養するなどとは出来ない相談だと、人は思うていました。(中略)
樋口に見舞金を贈りたいからとて金を集め、それを品物にかえないで、そのまま持っていきましたら、少しは助けになったでしょうに前の理由もあり、割合に高級人のうちには出さないで済む金は出したがらぬ人もあり、そんな事の幹事になるのは有難くないものですから、進んでそれに当たる人がなかったのでしょう。私も努力が足りませんでした。貧の苦痛を緩和させる事が出来ないで、死なせてしまったと思いますと、今でもすなまいすまないと思うています。>
一葉の知人で前出の疋田(戸川)達子は昭和22年5月に「樋口一葉」の中で次のように書いている。
<苦しい生活の中でもお二人で孝行なすったのでしょう。お母さんは黒い紬の羽織など召して一番身ぎれいにしておられ、どこかへ出かけられるにも必ず俥で、御姉妹で大切にしておられるのをいつもゆかしくお見上げしたものです。[註:俥=人力車](中略)
路地のどぶ板をがたがた踏んで行ってお訪ねしますと、池の見えるところへ机を持ち出して「頭痛が激しくてたまらないものですから。」と鉢巻をして書いておられることもありました。「昨夜は一睡もしないで書きましたのよ。」といかにも嬉しそうにその様子を話されることもありました。>
一葉の思い出を書いた人は数多くいるが、中でも一番的確なことを書いていると思われるのは、『文学界』同人の島崎藤村であろう。昭和5年10月に「故樋口一葉」に次のように書いている。
<一葉は二十五歳位の若さで死んだ人でありながら、その人の書いたものを見ると、お婆さんのように賢い。若い婦人の情熱と、年老いた婦人の賢さとが、ふしぎな位あの人には結びついている。(中略)
一葉の書いたものには、どの作にも婦人としても強い訴えがある。一葉の描いた婦人は多くは下層社会婦人で、ゆくゆくは売笑婦として運命づけられているような少女や、妾奉公をさせられる女や、銘酒屋に集る女の群などそういう人物を活々と写したものが多い。それが単純な同情をもって書かれたようなものでなしに、もっと強い婦人としての訴えから来ている。>
一葉はたった24歳の若い生涯を貧苦と病気のうちに閉じてしまったが、明治の作家では森鴎外、夏目漱石とならんで、いまなお人々に愛されている。17歳で父親に死なれてからはお金には縁なく過ごしてきた一葉だったが、今度の新五千円札の図柄に採用されるのは、あの世の一葉にとっては望外の喜びではないだろうか。
※おことわり 引用部分の旧かな使いは新表記に改めました。(2002年11月20日 杜父魚文庫より)

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