659 659 兄の冥福を祈ることが出来た 宮崎正弘

7日夕刻から、今度は虎ノ門のオークラホテルが異様な熱気に包まれていた。開場の一時間以上も前から広いロビィを人々が埋め尽くしていた。
参回目の来日で念願の「奥の細道」を辿られて、秋田では講演もこなされて6日に一度、帰京。
6月7日の朝、靖国神社の参拝をすまされ、そのあと、台湾と縁の深い拓殖大学を訪問、大学幹部と昼飯をご一緒された。そして休む閑もなく、会場に駆けつけられた。
靖国参拝について李登輝前総統は、
「わたしの兄(李登欽)は、昭和二十年に、フィリピンで戦死したが、父は兄の死を信じていなかった。
父は十二年前に96歳で天寿をまっとうしたが、最後まで兄が戦死したと信じておらず、したがってわが家には位牌もなければお墓もなかった。
父がそういう立場である以上、わたしは兄に対してなにも出来なかった。
でも靖国神社には合祀していただいており、わたしは人間として、弟として、やっと冥福を祈ることが出来た。
私自身はクリスチャンであり、今度の参拝はマスコミの方にも申し上げたように、わが家の家庭の事情によるもの。政治的歴史的な解釈はしないで頂きたい」と述べられた。
こうして60年ぶりに念願を果たした李登輝博士ご夫妻を歓迎する宴にはぎっしりと1400名。これにマスコミ人が100名以上。オークラの平安の間が立錐の余地がないほどに、参加者の列が続いた。
国会議員も数多く、著名人もたくさん来会された。
歓迎パーティの前に一時間半の講演があった。 (講演要旨は次号で)。
中嶋嶺雄学長の司会、質問は渡部利夫(拓殖大学学長)と評論家の櫻井よし子さんに振られた。
講演後、ご夫妻に大宅映子さんと日下公人氏から花束の贈呈。歓迎の宴は塩川正十郎氏の乾杯の音頭で開始され、懇談に移った。
余談ながら小生が会場で立ち話が出来たのは平沼赳夫、小田村四郎、黄文雄、黄昭堂、許世楷、古屋圭司、沢英武、加瀬英明、田久保忠衛、村松英子、藤井厳喜の各氏らだった。
ほかにも多くの知己がいたが、満員の会場。次の予定のため、八時過ぎには会場を出た。
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李登輝氏の靖国参拝を「訪問」と第一報を流し、その後「参拝」に修正報道した朝日新聞だが。
 
同日のテレビは?
NHKは朝十一時のニュースでトップ扱い。社務所へ入る場面を上空のヘリコプター画像とともに映しだしたが、民衆の歓迎風景をほとんどカット。日の丸の小旗は画面の片隅に一秒ていどだけ。「中国政府の反応はいまのところありません」と余計な一言。
日本テレビは十一時半のニュースで二番目に報道した。日の丸と台湾の旗をふって歓迎する民衆で境内がこみあう風景もちゃんと映し出していた。
フジテレビも参番目あたりで報道、ひどいのはTBSで、交通事故、コムソンのあとに報道したうえ、「中国外務省の強い抗議をまねこう」などと勝手な思いこみの観測記事をまぜた。
しかし、無視するより大きく扱った、今回の日本のマスコミの対応は、国民の歓迎ムードという環境の変化に敵対する記事を書けなかった証拠でもあろう。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より)

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