第3部「文化大革命」今日スタート(産経新聞)
中国に飛躍的発展をもたらしたトウ小平氏の実像に迫る連載企画「トウ小平秘録」の第3部「文化大革命」(文革)を20日付朝刊から掲載された。
もちろんいまや有数の中国ウオッチャーである産経新聞中国総局長伊藤正さんの力作。
今年2月14日からの第1部天安門事件、4月17日からの第2部南巡講話は5月12日で終わっていたが、連載は6月20日、第3部文化大革命として再開された。
<毛沢東が発動した文革(1966~76年)は「10年の動乱」と呼ばれ、中国に多大な人的、物的損失を与えました。トウ氏自身も文革初期に失脚、73年に復活するものの、76年に再び失脚、と試練を受けています。
77年に再復活したトウ氏が改革・開放にかじを取り、国民の支持を得て実験を握ったのも、文革での経験抜きには語れません。
トウ小平氏は、文革路線を否定しながら毛沢東への尊敬の念は変えず、功績第一の歴史評価を下します。それは本企画第1部「天安門事件」、第2部「南巡講話」で書いた極左理論温存の要因にもなりました。第3部では毛、トウ両氏の因縁深い関係を掘り下げます。>とのことだ。
劉少奇国家主席(当時)と共に資本主義の道を歩む実権派(走資派)ナンバー2として毛沢東側近に妬まれたトウ小平氏は失脚し1969年から3年余、中国南部の江西省に「下放」されながら這い上がり改革開放政策で今日の繁栄をもたらした。
1972年9月、田中角栄総理の初訪中時、トウ氏の存在が隠されていたのは「下放」を隠していたためだった。
それから6年後の日中平和友好条約の締結をむしろ中国側が急いだのは3度目の失脚から復活していたトウ小平の指揮だった。
20日から始まった第3部は今までおうい隠されていたトウ小平の不幸な時代が初めて明らかにされるもの、として早起きの材料となりそうだ。(Sankei Web 2007/06/17 08:38)
それはそうと、<胡主席、日中友好ムード再現 「84年交流団員」らと会見 >と報じ
られている。
<【北京=野口東秀】中国の胡錦濤国家主席は19日、1984年の3000人青年交流訪中団に参加した日本人やその家族ら約200人と北京の人民大会堂で会見した。
中国側は当時受け入れ責任者だった胡主席が会見したほか党・政府幹部10人以上が姿を見せる異例の厚遇ぶり。「友好と戦略的互恵関係を発展させる」とのメッセージを日本側に送り、関係改善の流れを確実にする狙いがありありとうかがえた。
「日中青年世代友好代表団」と名付けられた今回の訪中団は、中国の青年組織・中華全国青年連合会(全青連)の招待で実現し、当時首相だった中曽根康弘氏が最高顧問として随行した。
人民大会堂には唐家セン国務委員、王兆国政治局員らが顔をそろえた。84年当時全青連主席だった胡主席は会見などで「中日友好の大方向」は変わらないと強調した上で「両国関係の発展過程では矛盾が出ることは避けられない。(しかし)歴史をかがみとし、未来に向かう原則で話し合い、対立や矛盾を処理し各分野の交流を強めることが重要だ」と述べた。
80年代、胡耀邦元共産党総書記(故人)の下で「日中関係は最良の時期」とされたが、同総書記は対日関係を重視したことも攻撃材料にされ87年に失脚した。
胡主席は胡耀邦氏を「師」と仰いでいるといわれ、「胡主席は胡耀邦氏の二の舞になるのでは」と危ぶむ声もある。にもかかわらず胡主席が「次世代に続く友好」に強い意欲を示す背景には、関係改善の中で、日本から環境対策など科学技術の導入を円滑に進めたい中国側の思惑がある。
さらに当時の訪中団の子供らを招待し「未来志向」のイメージを印象づけることで、安倍晋三首相が靖国神社に参拝できなくなるような政治環境を醸成する深謀遠慮もあるようだ。
一行は同日、北京市内で中国側代表と「温故知新、伝承友好」フォーラムも開催、中曽根氏や胡春華・共産主義青年団第1書記が青少年交流の重要性を強調した。(Sankei Web2007/06/20 00:22)
700 700 【トウ小平秘録】再開 渡部亮次郎
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