日本の官庁で諜報機関の体裁を備えているのは公安調査庁。米国のCIA、韓国の旧KCIAに較べれば、お粗末な諜報組織だが、日本の安全にとって最大の脅威である北朝鮮の情報を入手するのが主たる任務となっている。
しかし情報鎖国の国家である北朝鮮の機密情報を入手するのは、極めて困難といわねばならぬ。対馬海峡と日本海を隔てて”一衣帯水”にある朝鮮半島なのだが、北朝鮮に潜入して機密情報を得ることなどは不可能である。
そこで公安調査庁の主たるターゲットは朝鮮総連になっていた。日本国内には約七十万人の在日朝鮮人がいる。その半数に近い約三十万人が親北朝鮮の在日朝鮮総連系と目されていたが、拉致問題が発覚して以来、組織を離れる者が続出して、今では十万人を切るところまで細っている。
在日朝鮮人が日本で生きていくためには、一時のような暴力的破壊活動から脱して、日朝国交正常化を睨んだ合法的な活動が迫られる。しかし拉致問題が本格解決しないかぎり日朝国交正常化はあり得ない。その狭間の中で暴力的破壊活動の分子が生き残っている。
日本における公安調査庁と朝鮮総連の歴史は朝鮮戦争の前からあった。一九四九年九月、当時の法務府特別審査局(公安調査庁の前身)によって、親北朝鮮系の「朝連」が団体等規制令違反で解散させられた。
一九五〇年六月、朝鮮戦争が勃発すると旧朝連系は「在日朝鮮統一民主戦線本部」を組織して、秘密軍事組織として「祖国防衛隊」を結成し、後方攪乱を任務とした。後方攪乱と平行して日本国内の米軍基地、米軍の動向、日本治安機関の配備など情報戦でも活躍している。
一九五〇年九月九日に在日米軍のCIC(陸軍防諜隊)の武装部隊が出動し、祖国防衛隊の許吉松(ヨキルソン)少佐らを検挙している。日本の治安機関もCICの直接指揮を受けて出動している。これが「第一次北朝鮮スパイ事件」である。これ以降、日本を舞台にした北朝鮮工作員によるスパイ事件は、検挙されたものだけで四十四件。
中には二死体が漂着した第一次能代事件(一九六三年四月一日)、一死体が漂着した第二次能代事件(一九六三年五月十日)があるし、外務省スパイ事件(一九六七年十一月二十三日)も発生した。拉致事件は検挙されていない部類に入る。
外務省スパイ事件は、在日朝鮮人商工連合会政治部副部長だった李載元(リジュウオン)が法政大学時代に朝鮮問題研究会で知り合った外務省東欧課の山本慎吾から日ソ首脳会談に関する機密資料を入手した事件。情報一件に対して李工作員から数万円の謝礼が支払われている。
李工作員は山本以外にも内閣調査室、農林省、通産省、運輸省、原子力研究所に協力者を持っていて、第一級のスパイであった。これに対して日本側の官僚には諜報戦に巻き込まれたという意識が欠落していた。国家公務員法第一〇〇条違反で検挙された山本は、一九六九年三月十八日の東京高裁判決で懲役一年を課せられたに過ぎない。
この歴史をみるかぎり北朝鮮に対する日本の諜報能力はお寒いかぎりと言わねばならぬ。また朝鮮総連そのものが北朝鮮の軍事情報から隔絶されている。日朝間の人事往来はあるのだが、軍事情報はほとんど得られていない。
一つには日本は北朝鮮に対して融和政策をとってきたことがある。CIAは早くから朝鮮総連に厳しい態度をとるように日本側に働きかけてきたが、日本側は朝鮮総連から北朝鮮情報をとる意味で消極的であった。公安調査庁も朝鮮総連の関係者から北朝鮮情報をとっていたから、朝鮮総連を潰したら元も子もなくなる。
さらには旧社会党は北朝鮮や朝鮮総連に太いパイプを持っていて、自民党内にも旧社会党と結んで北朝鮮政策をとる動きが顕著であった。小泉訪朝からこのかた安倍内閣になって北朝鮮との厳しい政策展開を始めたといえる。
朝鮮総連の中央本部の土地建物が627億円の借金のカタに差し押さえられるのを防ぐために、元公安調査庁長官と元日弁連会長がダミー会社へ所有権移転をはかった事件については、この歴史の流れからみておく必要がある。
一つだけ言えることは、安倍首相のハードな態度は六カ国協議で孤立するかのようにみえるが、北朝鮮に対して最後のカードを握っているのは日本だと認識しておく必要がある。北朝鮮が必要としている経済協力は、日本しか出来ない。
米国、中国、ロシア、韓国には、北朝鮮が望むような膨大な経済協力をする力も意思もない。日本側は拉致問題が本格解決すれば、経済協力に踏み切る意思を持っている。その場合は一九六五年の日韓条約によって韓国に無償三億ドル、有償二億ドルが供与された実績が下敷きになるであろう。
その後の日本経済の成長、為替相場の推移によって供与金額が決まるのであろうが、米国務省は二〇〇億ドルと試算している話も洩れ伝わっている。他人の懐勘定をするのは、お節介だと思うが、日本がウンと言わなくては、話が進まない。日本は孤立しているのではない。自信をもって拉致問題の本格解決を北朝鮮に迫るべきであろう。
704 公安調査庁と朝鮮総連 古沢襄

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