市ヶ谷の防衛省正門の前を通ったら、ちょうど陸幕長を乗せた公用車が出てくるところだった。フロントグラスのうしろに、赤地に4つ白い桜が並んだ板が置かれていたので、そうだとわかった。
ところが、正門を抜ける寸前に、ハンドルを握っていた隊員の手が伸びて、慣れた手つきで取り除いてしまった。
階級を車の前部に表示するのは、米軍を模している。旧軍では三角の小旗の将官旗か、佐官旗が車のわきにはためいていた。その旗を捲いたのに等しかった。
東京では自衛官が遠慮しているので、街で制服の自衛官を見かけることがない。このような首都は、珍しい。日本では当たり前のことになっているが、これは異常なことだ。自衛隊が国民生活に融け込んでいない。
自衛隊は他国からの侵略に対して、日本を守るために存在している。これは軍隊の役割だ。それなのに、いまだに鵺(ぬえ)のように正体が不明で、曖昧な存在となっている。
今年も防衛大学校で、入校式典が行われた。五百旗頭校長が「式辞」を述べたが、自衛隊が弛緩していることを示したものだった。
防大のホームページによれば、五百旗校長は冒頭で「昨年八月に着任した私が防大教育を見て驚いたことがあります。昨年の入学生のうち約3分の1が泳げるようになり、8kmのグループ遠泳を全員がこなしたことです‥‥指導する先生にきいたところ、ゆったりと遊びを入れながら合理的なプログラムをもって指導したとのことでした」と話している。
この人を私は知らないが、スウィミング・スクールの校長と勘違いしているのではないか。式辞のなかで国防に触れているのは、軍縮会議に連なることや、災害救護に言及しているから、そのなかに入るかもしれないが、「将来の国防の任を担う若人の門出」と、終わりのほうで「諸君個々の志望動機が何であれ、国と国民の安全のため、国防・災害救護・国際平和協力活動と拡がりつつある自衛隊の任務を達成すべく」と述べているところだけである。
愛国心にも、有事の事態にも、日本人としての誇りにも、まったく言及していない。どうして「国を守る」といわずに、まわりくどく「国と国民の安全」というのだろうか。
それにしても、「諸君の個々の志望動機が何であれ」というのは、卒業時に任官することを拒んで、税金ドロボウをすることを前提としているのだろうか。これでは、入校生を愚弄している。かつての陸軍士官学校や、海軍兵学校の校長が「諸君の個々の志望動機が何であれ」といっただろうか。情けない。
式辞というものも、幼稚園を思わせる。軍学校であるのなら、「訓辞」といってほしい。
先日、ある会合で空幕長の挨拶を聞く機会があった。「防衛省に勤務をしておりますーーです」といって、自己紹介した。私は耳を疑った。アメリカでさえ、空軍軍人であれば国防省とはいわずに、空軍というものである。
私は防衛省の応援団員を自任しているが、防衛省の広報機関紙の名は「MAMOR」である。きっと、「守る」を捩(もじ)ったのだろうが、不見識だ。日本を守るのであれば、国語や、文化を守ることにも努めねばならない。
改題するまでは、「SECURETARIAN」(セキュレタリアン)といった。英語にもない、奇怪な造語だった。鵺のような体質をあらためてほしい。(鵺=ぬえとは伝説上の怪獣。転じて正体不明の人物や曖昧な態度に言う。広辞苑)(「頂門の一針」より)
757 自衛隊は姿勢を正せ 加瀬英明
加瀬英明
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