パキスタンの政情は一気に不安定化した。
イスラマバードの「赤いモスク」(紅色清真寺)への特殊部隊による武力突入は多くの犠牲を出したが、直後からパキスタン全土に吹き荒れる報復のテロは、パキスタンの軍を狙った自爆テロが主流。
もともとイスラマバードは、マリオットホテル爆破、空港爆破など散発的テロが絶えず、警戒されてきた。世界で最も危険な首都のひとつ。
パキスタンはアフガニスタン国境が「タリバニスタン」もしくは、「アルカィーダスタン」と渾名されるほどの無法地帯だ。住民はアルカィーダに同情的である。
しかもインドとはカシミール紛争をかかえ、軍事同盟の相手として中国とは特殊な関係がある。
パキスタン主流の部族はパシュトーンだが、軍の多くもパシュトーン族が多く、従来は、タリバンへの同情が深かったため、徹底した殲滅作戦は採れなかった。そもそもパキスタン軍の諜報部がタリバンを操ってきたのではとする疑惑があった。
民族的にはパシュトーンのほか、パンジャブ、シンド、バローチなどが入り乱れ、この国が「民族主義」で統一されているなどとするのは幻想である。
ムシャラフ大統領は、99年の無血クーデタ以来、陸軍参謀総長を兼ね、しかも大統領選挙を間近に控えての「勇断」が必要だった。
パシュトーン出身ではなく、印度生まれのムシャラフは、しかも、種族的には「異質」であり、パキスタン全体の合意を代弁する政治的立場ではない。
海外に亡命中のブッド元首相の勢力も根強く(PPP連合)、またシャリフ元首相率いるPML(野党)も侮りがたい。
次の選挙を円滑化するためにはブッド派と妥協し、彼女の帰国を促す秘密交渉もムシャラフ代理人とブッドとの間で、ロンドンで続けられていた。
紅色清真寺(赤いモスク)への突撃は、中国の圧力によって決行されたフシが濃厚であり、そのうえブッシュ政権の「支持声明」があった。
パキスタン・ナショナリズムとイスラム原理主義過激派からみれば、これは許されざる外国との妥協政治であり、ムシャラフ大統領自身が、過去三回テロの対象となった。
安定が回復される日はますます遠のいたのではないのか。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より)
775 ムシャラフの賭け 宮崎正弘

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