「フルさん!久しぶり」電話の主は旧友の松尾文夫氏。十年ぶりの声であった。彼の友人が杜父魚ブログの記事「アメリカの敵前逃亡?」を読んで、そのコピーを送ってくれたそうである。そのお礼の電話だったが「中央公論の八月号にレオン・V・シーガル氏との対談をしているので読んでみて・・・」。
同年の仲間だが、外交ジャーナリストとしての松尾氏には、かねてから敬意を表してきた。お互いに二十八、九歳の頃だったろうか。共同労組の会合で松尾氏はスト万能の労組戦術を批判し、”職場闘争”に転換する必要性を唱えた。
政治班選出の私は執行委員、行け、行けドンドンのスト万能論者だったので、職場闘争重視の松尾氏の主張は、条件闘争に逃げ込む一種の敵前逃亡のように思えた。だが、スト万能論はハードな社側の労務政策の前に挫折する。数年後には私も柔軟な職場闘争重視路線に宗旨替えしている。
しかし、二十年後には自ら労務担当役員になって共同労組と対峙することになろうとは思ってもみない。人間の一生なんて分からないものである。
二十五年前のことだが、福岡支社長時代にワシントンから帰国した松尾氏に、昔の誼で博多で講演を頼んだ。特派員としての生の米国事情を語って貰うつもりでいたが、講演内容は先見性のある米国分析であった。
「特派員なんて横のものを縦にするだけ(横文字の英文を日本語に翻訳するだけ)」と偏見を持っていた私だが、政治ジャーナリストと同じスタンスで分析する松尾手法に共感を持った。その見通しはことごとく当たっている。よほどのディープ・スロート(深い情報ソース)を持っていなければ、できる技ではない。
だがテレビに出たり、月刊誌に書きまくることをしない男である。コツコツと松尾ブログで所論を発表してきた。ひとつには経営者として米国のテレレートとタイアップした事業展開に興味があったことが原因している。私も似たところがある。売文の徒となることにこだわりがある。ディープ・スロートを大切する心根を持っている。
前置きはそのくらいにしよう。中央公論で「拉致敗戦」というショッキングな対談をしているが、その内容は日本ではほとんど知られていない米国事情に踏み込んでいる。
レオン・V・シーガル氏はエール大学卒業後、ハーバード大学で博士号を取得して米国務省に入った。ニューヨーク・タイムズの論説委員を経て、現在は米国社会科学調査評議会の北東アジア安全保障プロジェクト部長である。一九八〇年代から北朝鮮の核開発問題の研究を続け、米政府の裏側を知り尽くしている一人である。
対談で昨年十月十日にヘンリー・キッシンジャー氏が北朝鮮についてのブッシュ大統領のメッセージを持って、ひそかに北京を訪問し、中国の胡錦濤国家主席と会談した事実を明らかにしている。このメッセージは胡錦濤から金正日国防委員長に伝えられたと思われる。
安倍首相の訪中が十月八日だったから、すでに胡錦濤・キッシンジャー会談のためにキッシンジャー氏が北京に滞在していたことになる。
メッセージの内容は①北朝鮮が核を捨てたら米国は平和条約に調印する②このために米朝で暫定的な和平合意について交渉し、北朝鮮側がいうところの軍事停戦委員会に代わる和平メカニズムに調印することも可能・・・というものだったという。和平メカニズムの調印は米上院の批准を必要としない政府間合意で可能である。
また米国は北朝鮮の核放棄を最終目標とするが、それは何年もかかる。したがって北朝鮮の核放棄は段階的に進めざるを得ないとしている。このアイデアはシーガル氏によれば、キッシンジャー氏の発案でブッシュ大統領も乗ったとみている。
ここで焦点になるのは安倍首相がこだわる拉致問題の解決である。米国はすでに対北朝鮮政策を百八十度変更した。ニクソンやキッシンジャー、父ブッシュ、ベーカー、スコークロストらに連なる伝統的な共和党主流の現実主義に回帰し、北朝鮮と戦争する意志もなければ、制裁の意図もない。
日本は北朝鮮がまず拉致問題を解決すべきだと言い続けるだけでは、問題の解決を得られないとシーガル氏は言い切った。日本が拉致問題が先だと言い続ければ、交渉は始まらない。ブッシュ大統領は先に進み、安倍首相は取り残されている。
ブッシュ政権は日本を困らせたくない。問題は日本が交渉をせず、ただ拉致問題を解決しろと言っていることにある。もし日本が動かなければ、八月か九月ごろ、北朝鮮の画策によって六カ国協議で孤立し、さらにはミサイル実験を行うかもしれない。北朝鮮が核関係のリストを提出しなければ、これは日本が北朝鮮との交渉に応じないせいだと、米国が日本を責めることになりかねない。
780 拉致敗戦で致命的な孤立へ 古沢襄

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