職業紹介事情に詳しい先輩の話によると、最近の若者が最も厭がる仕事は、相手を説得する仕事だそうである。新聞の勧誘、NHK聴取料の集金などは特に嫌われるという。それでいて大学生のジャーナリスト志望は何時でもトップクラスというのだから矛盾している。
敗戦で国家のアイデンテティーを失った悲しみが60年を経て現実のものとなったのである。日教組教育の結果、自己の利益追求には急だが、相手の関心事や本心や悲しみを知ろうとする人間が出来なくなったのである。
最も酷いのが「モンスターペアレント」先生を脅す両親。恐れた先生たちは脅された時の用意のために急いで保険を掛け始めているという。だがモンスターを育てたのが誰あろう、先生たちなのであって、天にした唾が今落ちてきたのである。
その先生の育てたもう一つの作品が主体的な取材が出来ず、自己主張のできない論説を書く記者たちである。モンスター記者といわれて怒ることもできない記者を育てたのは日教組以外に誰かいるか。
最近(2007年7月)、昔、大新聞で政治記者をしながら若くして途中退社した人と懇談する機会があった。彼が嘆くのである。「取材が苦手なものだから、スクラップ・ブック(切り抜き)を丹念に作り、それを適当に組み合わせて、それらしき記事に仕立てる記者ばかりだ」。
記者というのは沢山の人と面会するのが仕事のはずだが、最近の記者は記者を志望したくせに人に会って話を聞く事が苦手と来ては、切抜きを組み合わせて自分の意見のように見せかけるしかないわけだ。
よく論説委員が他紙の論説を丸ごと盗む事件が一再ならずあるのはこのせいだ。なるほど、昔は無かったインターネット。便利な器械で「検索」すればどの社の記事も論説も瞬時にして目前に現れる。国内の全部の新聞の社説やら論説を読もうと思えば、数時間で可能だ。
その中から気に入ったところだけを寄せ集めて「プリント」すれば、似非(えせ)論説はたちどころに完成する。中央紙同士ならすぐ露見するが、地方紙から拾う限り、露見はなかなかしないから、盗作はしばらく続く事になる。
私をNHK記者に仕立ててくれたのは秋田魁新報で社会部記者をしていた実兄だが「記者というのは、人からモノを教わる商売だ。一日に初対面の人を最低限3人作れ。できないだろうがな」といわれた。難行苦行だった。
また、後に会った自民党の実力者河野一郎氏は「政治記者は人生の大学院だ。名刺1枚でどんな偉い人にも会える。その人の誰にも無い貴重な体験を只で教えて貰う、人生の大学院だ」といった。
尤も、後にNHKで会長に上り詰める政治記者島桂次は教えてくれた。「政治家は嘘を吐く。不特定多数の者を相手にする記者会見では誰がどこで何をバラすか知れないのだから真相は絶対語らない。従って単独会見以外の記事は嘘に決っている」と。彼は総理池田勇人の蚊帳の中まで行って本心を聞いてきた。
NHKには島以上の記者は居なかった。ある事情から、格別、猜疑心が強くなったという欠点もあり、それが最後に命取りになるが、取材と情報の分析にかけてはNHKに置くには惜しいほどの記者だった。
若い頃のアルコール依存症を克服して会長になったが、ある日、参議院記者会の席でぼんやりしているところへふらりと来て言った。「政治家は記者会見の後、必ず小便に行く。嘘つきに緊張するからだ。だから会見が終わったら必ず連れ小便をしながら、本当はどうなのと聴くと、実はなぁ、と必ず言う」。
幾多の政治家を相手にし、幾多の嘘を吐かれた末に出した島の結論だった。島論が最も的中したのは幹事長田中角栄であった。衆議院2階のトイレに並びながら何度も「真相」を聴いた。
政治家は嘘も言うが、一面、真相を吐露したくてうずうずしているものである。疑うなら自分の胸に手を当てて、自身、如何であるか、考えてみればわかることだ。
「ここだけの話」として聞いてしまった事はなかなか胸にしまってはおけないものだ。政治家とて同じだ。取り決めた秘密がばれるのはこのためだ。これはオフレコ(記事にしない約束するなら話す)をかまされたら「聞きません」と断ればいい。どうしても胸に仕舞っておけない秘密を聞き出すコツではないか。
そうやって納得のいく仕事が続くと面白くなる。政治家の方から呼びに来るようになる。政治家こそは情報を求めているのだからだ。そんな政治家を5人も持っていれば、面白くて止められぬ商売となる。
しかし、お気づきのように政治記者は人間好きでなければ務まらない。ジャーナリストを志望しながら、人と会うのは苦手というのでは、会社は詐欺にあったようなものだ。情報のない新聞を出すわけに行かないから、「解説」ばかりという某社のような紙面でカネ取るしかなくなる。
某社の新聞は1面から3面まで「解説」はあっても「記事」が無いそうだ。記事の無い新聞を新聞と呼ぶのは21世紀の奇跡では無いか。いやいや、彼らは記者ではなく、単なるコレクター(蒐集者)に過ぎなかったのだ。人事部の責任を問う。
「解説」は過去を記録しているが「見通し」は切り抜きには書いてないから無い。参議院選挙の結果はこうなるだろうとは御得意の「世論調査」を基に語れる。
だが、その結果の「政局」や「国家」の展望、或いは祖国の置かれた危機状況については何も語れない。なぜなら目前には「切り抜き」はあるが、自身の胸には思想も哲学もまともな国家観も何も所持していないからである。
まして「記者会見の絵」と行きずりの「ぶら下がり」という映像優先のテレビニュースにいたっては政治家の本心には全く迫っておらず、一辺の真実も含まれていないはず。したがって私がテレビを一切見なくなってから数年が経つ。新聞も1紙で十分だ。
思えば政界に河野一郎無く、マスコミに島桂次無くなって久しい。マスコミを掣肘できる政治家はゼロだし、自己批判できるジャーナリストもいなくなった。夢も希望もないとはこういうことか。(文中敬称略)2007・07・25
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