825 在原業平と新東京タワー 渡部亮次郎

東京タワーの2倍の610メートル余の新東京タワーが近く建つところはの業平橋駅(なりひらばしえき)は、東京都墨田区押上(おしあげ)1丁目にある東武鉄道伊勢崎線の駅である。私の住まいから車で5分ぐらいのところである。
近くに掛かる隅田川の「吾妻橋」(あづまばし)に由来する。この由来として在原業平を主人公とした『伊勢物語』の中にこの付近を舞台とした「都鳥」があり、「吾妻橋」の別称として業平橋の名称を用いたとされる。
在原業平(ありわらの なりひら、天長2年(825年)―元慶4年5月28日(880年7月9日))は平安時代初期の貴族。歌人であり、六歌仙、三十六歌仙のひとり、また伊勢物語の主人公とみなされる。
近くの「言問」(こととい)という名称は在原業平の詠んだ、
「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」という歌に因む。
しかし実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」でのことであり、言問橋近辺には地名としては存在していたわけではないため、多くの説がある。
有力な説としては、1871年(明治4年)の創業でこの地に現在もある言問団子の主人が、団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名づけ、人気の店となったことからこの近辺が俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことに由来するというものがある。
1945年3月10日の東京大空襲の際には、浅草方面から火に煽られた人々が一斉に橋の上に逃れたものの、この橋の上も炎が走り、耐えかねた人々は次々と欄干から身を躍らせ、死体で埋まった隅田川に落ちていったという。
空襲が終わったあと、隅田川は一面死体が浮き、言問橋の上にも河川敷にも積み重なった累々たる死体の山が築かれていた。業平、言問は悲劇の地でもある。
新東京タワーは、都心部での高層ビルの増加に伴う電波障害を低減すること(特に受信機が小型で影響を受けやすいワンセグ放送に対応すること)、
アナログ放送と同規模のエリア確保を目的に、600m級のタワーが必要であるため、東京タワーの代わりに建設される地上デジタル放送用の電波塔である。高さは約610mを予定しており、展望台が450mの高さに建設される。
東京都墨田区の東武伊勢崎線の押上駅と業平橋駅の間に挟まれている東武鉄道の本社の隣接地で所有地でもある貨物駅跡に建設される。
そのため、事業主体は、東武鉄道が全額出資する新東京タワー株式会社であり、約500億円の事業費を東武鉄道が出資。建設費は約400億円。経済効果は毎年、約480億円が見込まれている。テレビ局からの賃貸料及び観光客からの入場料などで収益を得る見込みである。
2011年7月24日に予定の地上アナログテレビ放送の終了に備え、2008年半ば着工、2011年半ば竣工予定である。また、着工に先立ち、2006年11月24日にデザインが公表された。
現在公表されているデザインは、五重の塔を参考にした地震などによる揺れを抑える構造で、概観は日本刀の緩やかな曲線をイメージしている。今後決まる色は、隅田川にマッチするよう、シルバーとブルーを基調とする予定である。
建設されれば高さでは、現在世界一であるカナダ(トロント)のCNタワー(1976年完成)を越し、中国の広州にできる同じ610mの広州テレビタワー(2009年完成)に並ぶ。
しかし、自立式建造物としては2010年に先に完成するモスクワのモスクワシティタワー(ロシアタワー)に越される見込み。また展望台の高さも、472mの上海環球金融中心(2008年完成)や、最低でも808mのブルジュ・ドバイなど、続々と海外で建設されている超高層ビルの展望台には及ばない。そのため、高さの「世界一」では無冠のタワーとなる。
監修者 澄川喜一、安藤忠雄
設計者 日建設計
高 さ 約610m
敷地面積 約8,100m2
施設等 放送施設・展望施設(450m特別展望ロビー、300m展望ロビー)
・商業施設など
東京タワーができた時は周辺に観光客目当てのホテルなんかが出来て、確かに観光の目玉にはなったが、予定地周辺を歩いてみても業平あたりは貧しさだけが目立ち、暗い気分になる。
倒れそうで、汚れた街に、果たして再開発の気概があるだろうか、それとも投資する資本がどこからか来るだろうか、誠に心配になる。参考:「ウィキペディア」執筆:2007・07・30

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