≪何が惨敗した原因か≫
参院選の惨敗は安倍晋三首相にとって全く不本意な結果だったろう。自らが目指した政治とまるで内容の違う基準で評価されたのは心外極まりなかったに違いない。安倍政治の真価を問うため続投の意志を表明したが、再出発に当たって敗因を分析、認識しておく必要がある。
今回の敗因は安倍氏の掲げる「戦後レジームからの脱却」が否定された結果ではないと思う。憲法や教育を含め戦後レジームを守りたい一部のマスコミのバッシングに敗れたといっていい。
「年金の記録洩れ」と「政治とカネ」は本来、政治の主要なテーマではない。年金の本来の議論はいくら貰(もら)えていくら税金を調達しなければならないかだが、この点でいえば自民党も曖昧(あいまい)なら民主党もより雑駁(ざっぱく)だった。
記録洩れは行政のトップとして安倍氏の責任に帰せられるが、実のところ責任はない。社会保険庁の内部が怠業、ねこばばし放題という腐った職場になった責任の大半は自治労、つまりその組合を母体とした民主党の責任にも帰せられる。
政治とカネは重要問題には違いないが、小沢一郎氏にそれを語る資格があるのか。小沢氏は政治資金で個人名義の10億円余の不動産を買ったが、そのさい贈与税は払ったのか。
また自由党時代の25億円の政党助成金の使途について必要な領収書は示されていない。赤城徳彦農水相の領収書二重添付やその言動は政治家失格だが、それを嗤(わら)って巨悪が不問にされていいのか。
≪官僚内閣制改革への挑戦≫
安倍氏がやった国民投票法の制定、教育基本法改正、防衛省昇格問題は歴代内閣が何十年も先延ばししてきた問題だ。社保庁の解体もまさに妥当な解決だ。国会を延長してまで断行した公務員法の改正こそ、安倍氏がやりたかった本命の政治課題だろう。
安倍氏は明治以来の「官僚内閣制」が依然として続いていると認識している。これを憲法に盛られた「議院内閣制」にしてこそ、政治が国民のものになると考えている。その改革への突破口が「官僚の天下り根絶」ということになる。
松岡前農水相の絡んだ「緑資源機構」は天下り官僚の巣窟(そうくつ)のような存在だった。社保庁も天下りポストの一つに過ぎなかったからこそ、無責任体制がはびこったのである。
衆院調査局の調査によると、4600法人に2万8000人が天下っており、そこに流れる資金は5兆9000億円にのぼるという。これはまさに官僚が産業界をも支配するの図である。特殊法人、公益法人、独立行政法人はいずれも法律上の根拠をもって設立されている。これは官僚が立法府をも操っている証拠だ。
≪格差問題軽視してきた罪≫
国民は官僚主導の体制に反感を募らせてきた。安倍氏はこの体制を清算するため参院選の候補選びに口を挟もうとしたが、青木幹雄参院議員会長らは聞く耳を持たなかった。
片山虎之助参院議員幹事長の落選は国民の反発を象徴する出来事だった。閣内にも伊吹文明文科相や尾身幸次財務相ら官僚出身の古手は「官僚内閣制」の清算の必要性を全く理解していない。現職で敗れた面々は敗れるべくして敗れたと自覚すべきだろう。
安倍政治は基本的に正しい方向を向いていると思うが「格差」問題を軽視してきた罪は大きい。保守王国といわれた四国、九州、中国地方の惨敗を見ると地方の不満の大きさがわかる。
競争政策は必要だが、そこからこぼれた人たちをどう助けるか。大規模農家を育てる政策は正しいが、細る小規模農家をどう自立させるかも併せて考えなければ、細民の切り捨てと受け取られるだろう。
首都圏に3500万人もの人口が集中しているのは異様な姿である。地方の富が首都に吸い上げられている図だ。財源の再配分というカネの問題の他に、仕組みの再構築が急務だ。三百諸侯の時代でさえ、地方は自立していたことを想起すべきだ。
国会は衆院で与党が3分の2、参院で野党が過半数という事態になった。野党は参院で何でも否決でき、また参院が審議しないでつるしておいても60日たてば衆院で3分の2で可決できる。
これまでの国会は政府提出法案は一字一句変えず、野党案は良い点があっても全部否決された。この悪慣行を清算するチャンスだ。与野党が議論して政策を調整してこそ国会が「国権の最高機関」になる。
官僚内閣制を終焉(しゅうえん)させることや地方分権に、民主党も異論はあるまい。首相は重要法案を片づけた強引手法を今度は対話による手法に切り替えて貰いたい。(ややま たろう政治評論家)産経新聞【正論】7月31日付け転載 (2007/07/31 05:29)(頂門の一針より)
828 「官僚内閣制」打破こそ 屋山太郎

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