小沢一郎氏の地元・岩手県の郷土紙岩手日報に「風土計」というコラム欄がある。論説委員の方が杜父魚ブログの私の一文を見て、一部を使わせてほしいと申し込みを受けた。短い文章だが、時は移り、合戦の舞台となった奥州市生まれの小沢一郎氏の前に、首相は参院選で大敗した。政権の「糸の乱れ」も敗因だった。続投を宣言したものの、党の「ほころび」は予想外に大きい・・・は言い得て妙である。
<今から1000年近くさかのぼる1062年9月。前九年合戦は、終わりに近づいていた。衣川柵が朝廷軍の攻撃に陥落した。ここで、後世に伝えられる名場面が生まれる。
▼衣川から厨川(盛岡)へ敗走する安倍貞任に向かい、源義家が呼びかける。「衣のたてはほころびにけり」。貞任は「年をへし糸の乱れのくるしさに」と返した。義家は感心してつがえた矢を外し、引き揚げた。
▼間もなく厨川柵が落ちて合戦は朝廷軍が勝利する。貞任は討たれ、弟宗任は投降し京に連行された。義家と父頼義はそのあふれる才能を惜しんで罪を許し、朝廷からもらい受けた。実はこれが安倍晋三首相のルーツなのだという。
▼西和賀町出身の作家・古沢元を父に持つ共同通信元常務理事の古沢襄さんは、こんなエピソードをブログで紹介している。首相の父晋太郎氏に岩手出身だと言うと「安倍家のルーツも岩手県」と語る。
▼山口県のはずなのに。不思議に思う古沢さんに「安倍宗任の末裔(まつえい)なんだよ」。晋太郎氏はこの話を好んでしていたという。朝敵とはいえ、誇り高く文武に秀でた兄弟に共感するものがあったのかもしれない。
▼時は移り、合戦の舞台となった奥州市生まれの小沢一郎氏の前に、首相は参院選で大敗した。政権の「糸の乱れ」も敗因だった。続投を宣言したものの、党の「ほころび」は予想外に大きい。>(岩手日報 八月一日付け)
程なくして岩手日日新聞社の企画記事「骨寺村荘園遺跡(世界遺産候補)」の担当記者氏から大野伴睦、福田一のエピソードを教えてほしいと申し入れがあった。思いつくままに半世紀近く昔の話となった想い出を語った。
お礼のメールに、私が初めて大野伴睦をみた昭和三十四年は、その記者が生まれた年だったと知らせてきた。「それにしても昭和34年は私の生まれた年。大野先生が69歳だったとは感慨深いものがあります。古沢先生には足元にも及びませんが、私も記者のはしくれ。今後もご指導のほどよろしくお願い申し上げます」とある。
長女は昭和三十五年に生まれている。四月に麻布中学・高校に入学した孫を連れて里帰りしている。第一線の記者たちは私の娘たちの世代になっていると感慨ひとしおなものがある。先生といわれると「先生といわれるほどバカではない」と反発する私だったが、今度ばかりを素直に受け入れる気持ちとなっている。
秋になったら岩手県に講演旅行に出かけるつもりでいる。盛岡にも立ち寄り、岩手日報のジャーナリストたちと酒を酌み交わすつもりでいる。楽しみが一つ増えた。
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