日本のマスコミが黙殺しているのか、見逃しているのか知らないが、「日本海(Japan Sea)」の表記が大英博物館から消え、韓国が主張する「東海(East Sea)」の表記が登場している。ブログが伝えている。
この逆なら韓国のマスコミは連日のように、その非を糾弾するであろう。日本はそれだけ大人なのかもしれないが、言うべきことを言う習慣が身についていない。
ブログによれば、大英博物館の「Japan(日本)」展示コーナーの地図から「日本海(Japan Sea)」の表記が消えたという。逆に「Korea(朝鮮)」の展示コーナーには「東海(East Sea)」の記述があるそうだ。大英博物館を見学して発見している。その写真も掲載しているから間違いなかろう。
そればかりか、「日本」の展示に「~は朝鮮起源」、「朝鮮通信使を日本は大歓迎し、朝鮮から日本文化が形成された」、「秀吉により大勢の陶芸家が日本に捕虜として連行されたため、朝鮮侵略は『陶芸戦争』と呼ばれている」(要旨・読者提供の情報)など、朝鮮日報などの韓国紙、または「韓国の国定教科書」に掲載されているような異様な内容ばかりでだったという。
韓国が「東海(East Sea)」を声高に主張するのは自由だが、ブログは次ぎにように言っている。
<読者はご存知の通り、今年5月に、5日間の会期で行われた「国際水路機関(International Hydrographic Organization:IHO)」総会では、韓国側の「東海」呼称、および「東海」併記の提案は却下され、当然のことながら、従来通り、日本海の単独記載が裁可されている。
万一にも、かくなる展示物(地図)に、国際水路機関で決められた名称「日本海」が記されていないことは違法であり、また、同展示物の陳列に関わった大英博物館にも、その「非」は問われるべきだ。
そこで、読者から頂戴した情報のさらなる詳細と、展示の経過を調べ、英国時間の週明けに、他分野ながら学術研究者の1人としての筆者の質問書簡と、申請を進めているNPOの代表者としての抗議書簡の計2通を送付する。
また、その質問書の控え(写し)を省庁への質問状に添付して送付したい。先ずは、英国の質問状への対応、および省庁の反応を観て、次の段階を考えたい。読者からいただいた20点以上の写真情報には、韓国、乃至朝鮮半島の意図的な情報操作が感じ取られる。こうした、特定国による「作為」を沈黙の中で看過するようなことがあれば、今後は、さらにエスカレートする危険性がある。>
このような日本の主張を外務省は放置しているのだろうか。民間に任せているようでは心許ない。
大英博物館といえば、南方熊楠(みなかた くまぐす)のことを忘れるわけにいかない。明治25年に米国からロンドンにきて、その抜群の語学力と学識を買われて、大英博物館で働いた最初の日本人。
大英博物館のサー・ウオストン・フランクス館長に認められ、東洋美術部の主任にとり立てられている。20歳台の頃であって、ロンドン滞在は九年間。熊楠の学識をねたんだイギリス青年と大英博物館の読書室で大立ち回りを演じた武勇伝もある。
「今日はこれですんだからいいようなものの、貴様のような奴は許せぬ。来年の今日(明治31年11月8日)また殴りつけてやるから覚えておけ」とイギリス青年トムソンを怒鳴りつけている。
翌年の11月8日にトムソンに殴りかかり、相手をグロッキーにさせた。さすがに大英博物館で問題になって辞任したが、ロンドン大学のディキンス総長が熊楠の学識を惜しんでふたりで「方丈記」の英訳を完成している。
昭和16年12月19日に75歳で死去したが熊楠が生きていれば、「日本海(Japan Sea)」の表記が大英博物館から消えたことを何と言うだろうか。
856 南方熊楠と大英博物館 古沢襄

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