フィナンシャル・タイムズのデビッド・ピリング東京支局長は、二流どころが多い東京の外国特派員の中ではましな方であろう。ドン・オーバードファー氏(ワシントン・ポスト)のような優れた歴史眼と国際的な視野には及びつかないが、いろいろな角度から日本を分析している。
ドン・オーバードファー氏は1972年から1975年まで北東アジア特派員として東京に駐在している。アジア・太平洋賞大賞を受賞した「THE TWO KOREAS」(1998年刊行)は、韓国、北朝鮮、米国、日本、ロシア、ドイツ、オーストリアでの450回のインタビュー取材によって四年の歳月をかけて書きあげられている。
「THE TWO KOREAS」は十年近い歳月を経た今でも少しも色褪せていない。米朝接近が著しい六カ国協議を考えるうえで、私はドン・オーバードファー氏の名著を読み返し、教えられることが多い。
1970年代の日本は佐藤内閣から田中内閣の時代に当たり、世界第二の経済大国への道を駆け上っていた。廃墟の中から奇跡的な復興を遂げる日本に世界の注目が集まりだした時期である。興隆の坂を駆け上る日本に優れた外国特派員が集まったのは、それだけの理由がある。
現在は、世界の注目が北京に集まっている。14億人という世界第一の人口を擁して、社会主義的市場原理というとてつもない実験が行われている。その成否は世界に影響を及ぼす。かつてない壮大な実験だから北京オリンピックが終われば、フタケタ成長を続ける中国のバブルが崩壊するという単純な図式だけでは計れない。あまりにも影響が大き過ぎるからである。
日本分析も、その視点から解明されるべきであろう。デビッド・ピリング氏は資源が乏しい日本が食糧とエネルギーの確保に取り組まねばならぬ課題に触れている。これは言わずもがなのことだが、高い農産物関税を維持して食糧自給率をあげる施策の限界については切り込んでいない。
エネルギー確保についても原子力産業に視点を合わせているが、具体的な先を見通せないでいる。ただ、日本人が資源の乏しい国という強迫観念に駆られて、これまでの道を歩んできた心理構造を外国人の目で指摘した。これは正しいと思う。
北京の壮大な実験に較べれば、日本の抱える課題は先の見えない重苦しいものなのだが、目をそむけることは出来ない。日本政治がそれに応えているのだろうか。年金問題や生活が第一という争点よりも、もっと大きい根本命題があるのだが、下り坂にさしかかった日本は明快な回答が導きだせないでいる。
デビッド・ピリング氏が「そもそも日本が原子力産業をもつべきかどうかは、これからも議論されないままということになる」という結語で締めくくったが、それはまた日本人の結語でもある。
<自分たちは資源の乏しい国——。日本人が抱えるこの根深い強迫観念こそ、1930年代の日本を突き動かし、そして破滅へと追い込んだ帝国主義的野望の最大要因だった。自分たちには資源がないという日本人のこの強迫観念がいかに根強いものか、日本の外ではあまり理解されていない。たとえば海外の自由貿易主義者たちは、日本の農産物関税が高すぎると批判しているが、日本国内の議論はそれよりむしろ、カロリーベースで40%しかない食料自給率をどう引き上げるかに移りつつある。
日本は資源に乏しい国だというこの強烈な恐怖は、実は一部で言われるほど、合理性を欠いたものではない。いったん危機が起きれば、国内に食糧とエネルギーが入ってこなくなるという、そういう弱点を日本は抱えているのだ。ということはつまり、日本政府はこれから、原発の安全性向上のために徹底した見直し作業に入るが、そもそも日本が原子力産業をもつべきかどうかは、これからも議論されないままということになる。>
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