899 KYD安倍政権って? 平井修一

「KYって誰だ」とサンゴに傷をつけて記事を捏造したのは朝日新聞のカメラ記者だったが、大スクープは無理としても時々はヒットを打たないと記者として出世できないのが組織なのだろう。
「真面目にこつこつ、いい仕事」をしていても、なかなか社内やら世間の評価は得られないからと、捏造して自爆する。盗作とまでは言えないが、他紙を参考にするという盗作まがいは結構多いのではないか。
ところで「KY」というのは最近では「空気が読めない」の略なのだと、どこぞの週刊誌が書いていた(新潮か文春)。「安倍晋三はKYで、KYと言えば安倍」だそうだ。
参院選挙戦最終日、7月28日の土曜日に池袋東口に行ってきた。安倍総理と石原都知事のシンチャン連合が遊説するというから、これは取材の価値はある。もしかしたら、「安倍総理、最後の遊説」になるかもしれないからだ。
晋ちゃんは玄人受けの改革を矢継ぎ早に行ってきたが、反発を覚悟で言えば「この世はバカが動かしている。バカを動員できたほうが勝ち」と思う小生には、「晋ちゃんは一人相撲を取っている、観客はイマイチのってこないなあ」という感想を持った。
産経新聞の山本雄史記者が7月30日、「安倍首相の街頭演説を聞いていると、空気を読めていない場面も結構多い。非常にささいなことであるが、気になるので1点だけ紹介する」と、こう書いている。
http://yamamotot.iza.ne.jp/blog/entry/250730/
<選挙戦まっただ中の7月22日、正午ごろ。安倍首相は東京・吉祥寺で、東京選挙区の丸川珠代氏(当選)、保坂三蔵氏(落選)の応援演説を行った。その際、保坂氏が「安倍総理は(吉祥寺が最寄り駅の)成蹊大学(出身)でございます。
この街はふるさとです。青春時代の安倍総理のお姿がここにみえるような気がします」と話したのだが、その後にマイクを握った安倍総理は、この点には全く触れず、「改革か逆行か」といういつも通りの演説を行った。
たぶん、小泉純一郎前首相なら、「いやあ、懐かしいねえ、吉祥寺。よく飲んだくれて、あのころは・・・」という、“つかみ”の話を絶対にしたはずだと思う。安倍首相の演説はいい意味でも悪い意味でも実に四角四面である。
演説場所近くで何十年も店をやっている写真屋のおじさんに話を聞いたところ、「この場所で今までいろんな政治家の演説を聞いたけど、安倍さんは人気ないね。
拍手の音を聞けば、だいたいわかるよ」と話していたが、安倍首相が遊説で「手応えがあった」と思っていたとすれば、それは現状認識に問題があったといえる>
KYの安倍総理は靖国神社8月15日参拝をしなかった。当日、すさまじい炎天下に参集した参拝者16万5000人のほとんどは総理の参拝を期待していただろう。
ネチズンの反響を見ると、「安部氏は一政治家ではなく総理ですから、持論のトーンが落ちてきたのは仕方がないのでしょうか」とがっかりする声や、
「もう安倍ではだめだ。レームダックでろくな改革はできまい」という声、「この際、安倍首相とその不快なお友達に対し、あえて声を大にして言おう。“このヘタレ野郎!”。ホント安倍坊ちゃんの“鈍感力”は相当ハイレベルだと思います」
「安倍首相はどのツラ下げてパール判事のご遺族と面談するのでしょうか」といった怒りと嘆息が多い。安倍は多くの支持を失ったろう。
西村眞悟衆議院議員は8月16日、こう書いている。
<私に関していえば、英霊を慰霊することよりも、英霊に励まされてきた。この励ましがなければ、私は政治家として精神(スピリット)を奮い立たせることはできなかったであろう。この意味で、安倍総理が昨日東京にいながら、靖国神社に参拝しなかったことを惜しむ。
あそこは、苦難に遭遇する公人を荒ぶる英霊が出迎え励ましてくれる神社であるからだ。
安倍さん個人の為に惜しむのではなく、公人たる日本国総理大臣に、英霊によってそのスピリットが励まされる静寂な空間が与えられなかったことを惜しむのである。公人のスピリット、これは国家の品格の問題であるからだ。>
安倍総理も同じく16日、「選挙の結果を受けて、国民の声をどう政策に反映させていくかということも、この時期にじっくりと考えたいと思っています」と書いている。
熟慮した結果の不参拝だろうが、参謀はいないようだ。「勝っても負けても、後から振り返れば、球児たちにとっては、かけがえのない大きな経験。ひと夏を越えて、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなってほしいと思います」とも語るが、国民は安倍総理に「大きくなってほしい」と願うだけ無駄と思い始めたのではないか。
KYD(空気の読めない鈍感の人)の総理にはどこ吹く風だろうから、言っても詮無いことか。

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