902 天山山脈を越えて 宮崎正弘

信長時代の南蛮寺を連想させる東洋風の建物。粗末な木造建築で青い屋根瓦、ドラゴンの彫刻が彫ってある。
これが「ドンガン・モスク」だ。「中国風清真寺」とでも翻訳すれば良いのか、十九世紀末から中国を追われたムスリムが峻険な山々を越えてキルギスへ逃れ、百年前に建立した。「清真寺」は中国語でイスラムのモスクを意味する。清真料理は羊料理。
場所はキルギスの首都ビジケクから東へおよそ四百キロ弱、天山への登山口=カラコルという寂れた町のなかに現存する。
筆者はカザフスタンのアルマトゥまで空路、それからバスで南下してキルギスとの国境(天山南路)を越え、首都ビジケクから途中下車と宿泊を重ね、琵琶湖の九倍というイシククル湖を北回りにロシア人の集落と遊牧民のテント村を越えて、ようやく辿り着いた。
「ニーハォ」さえ分からない中国系住民がドンガン族といわれ、カラコル市を中心に数万人が地元キルギス人のほかにロシア人、ウクライナ人、ウズベク人らと共生している。
かれらに「いまの中国に帰る意志はないのか」と聞くと、「キタイ? 恐ろしい」と答えた(「キタイ」は戦慄を含めたロシア語で中国を指す)。
移住して百年の間に世代はすっかり交代し、ソ連時代が長かったためロシア語しか使えない。中国人としてのアイデンティティは喪われ、自己認識の手だてはイスラムへの信仰しかないのがドンガン族である。
(後注 「キタイ」は、本来は遊牧民族で漢族を抑え込み、唐末期に現在の満州からモンゴルを制覇した王朝の本名。これを漢族は「遼」とか「契丹」とかの国名に変えて(改竄して)、殆ど歴史から無視している。ロシア人が「タタルの頸城」といってタタル人をおそれ、これを現在のモンゴルと同一視しているように、ロシアは「キタイ」を漢族帝国=シナと同一視している向きがあるため、「キタイ」には戦慄をこめた嫌悪感がともなうのである)。(この文章は貳週間前の『週刊朝日』から再録。「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より) 

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