雑誌「正論」編集長の上島嘉郎氏が「参院選挙、自民党大敗北の深層」論を唱えている。新保守の代表的な論潮といってよいだろう。拉致問題が表面化して以来、日本国内には右傾化の傾向が著しい。これに危機感をもった左グループからも一斉に反撃が始まっている。
参院選は”生活が第一”をスローガンにした民主党の勝利だったが、底流には「右なるもの」と「左なるもの」の衝突だった気がする。安倍自民党が大敗したのは、その政権の曖昧さが災いしたのではないか。
昨年の自民党総裁選挙で安倍晋三氏が圧勝した背景をみると、大きくいって三つの勢力の支持を得たものである。
ひとつは小泉構造改革の路線を支持したグループ。さきの総選挙で圧勝した原動力となった新人議員が中核を占めている。安倍政権の十ヶ月は、これらのグループの期待に応えたものであったろうか。期待に応えていないから”小泉再登板”説がくすぶっている。
第二は安倍氏の本質である新保守的な思考に共鳴するグループ。郵政選挙で離党した議員には、この傾向が強い。平沼赳夫氏らが、その代表であろう。安倍政権が発足すると間もなく離党者の復党に手を染めている。目指す最大の政策目標は憲法改正である。昨年来、強行採決をしてでも”戦後レジームからの脱却”を旗印にして多くの関連法案を成立させている。
第三のグループは”安倍人気”に乗って選挙戦を有利に戦うことを狙った議員。このグループは新保守的な思考には距離を置いている。また小泉改革路線の積極的な旗振りでもない。むしろ小泉構造改革の負の部分の修正を求める空気がある。
三つのグループは”同床異夢”だったが、政権党を維持するために一致して安倍支持でまとまっていた。同床異夢の支持母体であるが故に安倍政権の理念には曖昧さが伴った。
もし三つのグループのいずれかに軸足を置いていたら、安倍内閣は砂上の楼閣となっていたであろう。したがって安倍改造内閣の人事は、三つのグループに配慮したものにならざるを得ない。そんなことを考えながら上島嘉郎氏の論潮を読み終えたところである。
<第21回参議院選挙は、自民党が30議席台に落ち込む歴史的敗北を喫した。自民党大敗北の原因については、すでにいろいろ分析されているが、要約すれば次の三つであろう。第一に「いざなぎ景気」越えと言われても国民の多くがそれを実感できず、「格差」を拡大させた経済政策への不信感。第二に“消えた年金”問題。第三が複数の閣僚による不祥事とお粗末発言である。
これまで自民党も民主党も「日本は変わらなければならない」ということでは概ね共通していた。両党の競い合いは、どちらがその担い手にふさわしいかというものだった。今や憲法をはじめ戦後の枠組みを頑(かたく)なに護れと叫んでいるのは、かつて「革新」を掲げ、「保守」に対して変化を迫った社民党や共産党ぐらいで、1980年代から「改革」を主導してきたのは、明らかに保守の側だった。
その流れは小泉政権でピークを迎え、郵政民営化に象徴される変化を国民にもたらしたが、そうした一連の「構造改革」に対する国民の不信感が噴出したのは間違いないだろう。安倍晋三首相は、7月30日の記者会見で、「地方では改革の痛みが現れた。改革の陰の部分に光を当てなければならない」(7月31日付日経新聞)と述べたが、安倍首相は小泉政権の後継としてスタートしたときから、「改革」の負の側面を承知していたはずである。
今年6月に発表された安倍政権発足後初の「骨太の方針二〇〇七」に、「構造改革」という文字はない。「『構造改革』の旗が消えた」(朝日)、「参院選を控えて骨太方針の改革色は後退した」(日経)、「改革の指針たり得るのか」(産経)と新聞各紙は批判したが、そもそも「構造改革」は、安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」と相反する面を内包している。「構造改革」の流れを簡潔に見てみよう。
1986年、中曽根康弘首相(当時)の私的諮問機関「国際協調のための経済構造調整研究会」(座長・前川春雄元日銀総裁)が発表し、「内需拡大」「規制緩和」「国際化」の掛け声のもとバブル経済の淵源となった「前川リポート」を、日本がアメリカの要求を受け入れたものだと指摘したのは故江藤淳氏だが(『日米戦争は終わっていない』)、アメリカの要求を受け入れることを「改革」としてきたことに自己欺瞞はないか保守派は真摯に再考する必要がある。
1989年の日米首脳会談でブッシュ大統領(当時)が提案して始まった「日米構造協議」は、85年9月のプラザ合意以降も年間500億ドルに上るアメリカの対日貿易赤字が減らなかったために提起された協議で、90年6月の最終報告書では、日本が91年からの10年間で公共投資を430兆円に拡大すること、大規模小売店舗法の規制緩和などが盛り込まれた。また91年5月には、アメリカは日本市場の閉鎖性を訴えて商法の改正なども要求してきた。こうした要求の積み重ねの中、93年7月に日本の構造問題と個別の産業交渉を組み合わせた「日米包括経済協議」が創設され、日米交渉の場はますます増えることになった。それが今は、「年次改革要望書」という形になって続いている。
もちろん、アメリカの要求であっても日本国民の利益になるのなら受け入れたらよいではないか、という意見は一定の説得力を持つ。外圧活用論である。しかし、そもそも戦後日本の枠組を規定した日本国憲法こそがアメリカから「強要された改革」の嚆矢であることを忘れてはなるまい。「構造改革」に内包されているアメリカの対日要求が占領政策の延長線上にあることを(あるいは江藤淳氏のいう日米の持久戦の一つの現れであることを)捨象して「改革」を論じることは、事の本質を見失うことになる。
安倍首相は、「敵は『戦後レジーム(体制)』そのものだ」と語った。そんな安倍首相に小泉前首相は、「この選挙は『勝ってよし、負けてよし』だ。(安倍)首相は何も気にすることはない」と語り、選挙4カ月前の会合では、「参院選は負けた方が面白いぞ。民主党の小沢一郎代表は自民党内に手を突っ込んでくる。民主党の反小沢勢力も黙ってはいまい。そうなれば政界再編だ」と断言し、「政権選択の選挙は衆院選だ。首相はそれだけを考えていればいいんだ」と述べた(7月30日付産経新聞)。中曽根元首相も、「参院選でいかなる結果が出ようとも、首相は自らの政治信条に従い豪胆にやればよい」というメッセージを送った(同)。
中曽根政権のスローガンは「戦後政治の総決算」だった。小泉政権は「聖域なき構造改革」。安倍政権が掲げる「戦後レジームからの脱却」はその延長線上に位置づけられるが、一方で中曽根政権も小泉政権も「米国追従」の批判を免れなかった。
「自民党をぶっ壊す」と叫んで登場した小泉前首相は、今回の参院選で自民党の敗北を歓迎した。そして結果はまさにそのとおりになったわけだが、これまで金城湯池だったはずの地方の1人区で自民党が壊滅したことは何を意味するか。利益誘導型の「古い自民党」が崩れたと見て歓迎すべきなのか、あるいは「古い」「新しい」という問題ではなく、自民党が進めてきた「改革」が本当に日本国民のためになるのかどうかという疑念の発露なのか。「地方の民意」をどう読み解くかが安倍首相の今後を決める一つのカギとなるだろう。
「構造改革」を進めれば進めるほど、日本という国柄が希薄になり、日本人の性質や人情も変わってしまうのではないか。「格差」論の背後にあるのは、経済的利害よりも日本人と日本社会の変質そのものに対する危惧ではないか。「構造改革」は、日本がグローバル・スタンダード(世界標準)に向けて歩むことだと言われてきた。しかし、世界標準といっても必ずしも公平な競争が行われた結果、世界的に通用するに至った基準ではない。むしろ政治力や外交力によって少しでも自国に有利なルールを他国にも適用させるための道具と言ったほうがよい。グローバル・スタンダード=アメリカン・スタンダードと揶揄される所以でもある。そしてその多くが、日本人の価値観や慣習を異質なものとして「変革」を求めてきた。
明治以後の急速な西欧近代化は、苛烈な帝国主義の荒波の中で日本国の「独立」をまっとうするために必要だったが、同時に日本人らしさを自ら削り取ることでもあった。開国期の明治人が直面した苦悩に、平成のわれわれも直面している。「構造改革」が、日本人にとって“守るべきものを守るための「改革」になっているかどうか”。それは経済的繁栄だけでなく、先人の名誉や未来の日本人の可能性を含めた、日本国の歴史の縦軸を意識したものでなければならない。そもそも自民党支持層にはこのような前提があったはずだ。
安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」がそれを果たすものであるかどうか。連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策の呪縛を断ち切ることにはつながらず、むしろ「日本」の希薄化とさらなるアメリカ化をもたらすのではないか。今回の自民党敗北の深層には、こうした疑念と不安が本来の自民党支持層に強くあったような気がしてならない。>
904 自民大敗北の深層論 古沢襄

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