敵のテロと敵対勢力に囲まれたイスラエルは、脅威を取り除くためにしたレバノン侵攻以後も、軍事的安定がない。ほぼ毎日、ハマスとの戦闘が繰り返され、一方、ロシアがシリアへ武器輸出を続けている。
ロシアは対空ミサイルを中心に九億ドルもの武器をシリアへ搬入した。この一部がシリア経由でレバノンに巣くう過激派のハマスへ流れている。
イスラエルは国家安全保障の観点から、新しい入植地の返還、ガザ地区の独立容認の立場をとっており、パレスチナ独立を容認する米国の基本路線と軌を一にしてきた。
治安が悪いため、イスラエルの売り物だった観光が成り立たず、最近はロンドンーテルアビブ間が99ドルというディスカウント・チケットも出回っている。
イスラエル政治は、民主主義制度である以上、宿命でもあるが、外交内政ともにジグザグであり、せっかく建設したヨルダン河西岸入植地を入れ替え、欧米が批判したが、高いフェンスを作ったりした。
オルマルト政権はやや硬直的な姿勢で妥協をパレスチナ自治政府との間で行わないため、ブッシュ政権が苛立ちを始めた。
イスラエルは米国から「パトリオット・ミサイル」の導入を検討している。従来のアロウ型ミサイルが、シリアの軍事力をまえに無力になりつつあるからだ。
こんな折りに驚くべき世論調査の結果がワシントンで、でた。
「全米知識人のなかでも、とくに歴代政権の国務、国防高官を務めた人物、米軍の司令官クラス、大統領府高官など。左はノーム・チョムスキーから右はパットブキャナンまで、エリート108人へのアンケート調査を『フォーリン・ポリシー』誌(ブルッキングス研究所発行)が行ったところ、『米国の安全にとって死活的に重要な国』として、イスラエルをあげたのは、僅か14%だった」(『エルサレムポスト』、8月21日付け)。
ちなみにトップはロシアが34%,パキスタンが22%,サウジアラビアが17%.そしてメキシコ、エジプトがそれぞれ5%(嗚呼、日本のことを挙げた人がいない!)。
▼ 強い衝撃がイスラエル政界を襲う
戦時にはつよいリーダーが望まれる。
いまのオルマルト政権は、基盤の「カディマ」が寄せ集めゆえに閣内さえ纏まらず、くわえて個性的にオルマルト首相は優柔不断のため不人気。
ましてオルマルトは警備に余計な費用がかかるため首相官邸をでて夏休みも取れない状態。
政治混乱が続いたため、当時の与党「リクド」内の対立から野党と連立し、リクドからも多くの議員を引っ張って、アリエル・シャロン前首相が、中道政党「カディマ」(日本で言えば自民、民主の大同連合政府のようなもの)を結成、このため「リクド」の指導者ネタニヤフは貧乏くじのように取り残された。
政界再編の流れでは、イスラエル政治は韓国の再編ダイナミズムと似ていて、その迅速性は現代日本政治にはないものである。
しかしシャロンが病に倒れ、「リクド」ばかりか、労働党も人材不足。老練政治家で大統領に横滑りしたペレス(元首相、ノーベル賞受賞者)は80歳を越え、“過去の人”になった。
そこで強硬派の政治家が再登場する格好の場がめぐってきたのである。
1999年に「石もて追われる」かのように首相の座を追われ、和平交渉の場からはずされていたベンジャミン・ネタニヤエフ元イスラエル首相が返り咲くチャンスがでてきた。
ネタニヤフは傲岸不遜な個性があり、あまりにも政治的野心が突出しているので欧米から嫌われるのかも知れない。
往時の与党「リクド」は99年に労働党のバラック政権との交替を許し、03年選挙ではアリエル・シャロンが老体にむち打ってリクドの政権復活を実現した。
リクドは独立戦争以来、もっとも保守的で国防論争では、もっともタカ派の政党である。
ネタニヤフ前首相は、政治銘柄で言えば兄は戦争の英雄(エンテベ人質奪回作戦のおり、急襲したイスラエル特殊部隊でタダ一人戦死した)。血筋から言っても申し分ないが、米国と衝突を繰り返すのが玉に瑕なのだ。
▼ エルサレムにも政治的流動性が
八月十五日に行われたリクドの党首選挙は入植地運動過激派の活動家モシェ・フェグリンが対立候補としてネタニヤフに挑戦した。
フェグリンなぞ、泡沫と見られていたが土壇場で23%を獲得、勝利には及ばぬもののリクドの四分の一が反ネタニヤフだったのだ。
理由は党員低落傾向のなか、フェグリン率いる極右セクトが、大挙してリクド入りしたためだ。
この結果、判明したイスラエルの新政治傾向とは?
2010年の予定される選挙が繰り上げされ、現オルマート政権の弱腰と指導力不足により、大連立の「カディマ」が雲散霧消しそうな雲行きにある。米国のイスラエル離れが、この傾向に拍車をかけるか?(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より)
911 イスラエル情勢に変化の潮流 宮崎正弘

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