NHKの朝ドラ「どんど晴れ」の視聴率は上がったが、日曜日の大河ドラマ「風林火山」の視聴率が伸びないという。目標は20%というが、なかなか届かない。分かる気がする。主役の山本勘助の位置づけが稀薄となって、真田幸隆の場面が多くなり、二人の謀将といった感じを与えている。
井上靖氏の原作「風林火山」では幸隆を思いきってカットして、勘助の謀将ぶりに焦点を絞った。新田次郎氏の「武田信玄」では勘助の場面を少なくして、幸隆に多くのページを割いている。
私にとっては、今の「風林火山」の方がいい。勘助も幸隆も見れるからである。そして井上靖氏の小説と新田次郎氏の小説を読み較べたりしている。だが、一般の視聴者にとっては、もっとドラマ性を求めているのではないか。勘助と幸隆の二人の主役という感じでは焦点がぼけて戸惑うのであろう。
この物語の圧巻は最後に訪れる。川中島の信玄と謙信の決戦なのだが、実は謙信の軍略に勘助の策が敗れて、壮絶な討ち死を遂げる。井上靖氏の原作は勘助の死をドラマチックに描いて小説はそこで終わっている。
永禄四年、 信玄は二万の大軍を率いて川中島を望む海津城に入城した。対する謙信は一万二〇〇〇の軍を率いて妻女山に陣を敷いている。そこで勘助は武田軍を二隊に分けて、一万二〇〇〇が妻女山を攻め、信玄自らは八〇〇〇の旗本軍で川中島に布陣する策を立てた。
妻女山から下る謙信軍を川中島で迎え撃ち殲滅する策である。高坂昌信が率いる一万二〇〇〇は月の出る前に海津城を出て、妻女山へ向かう丘陵を音をひそめて登っていった。卯の刻(午前六時)が攻撃時間。
寅の刻(午前四時)に信玄、勘助ら八〇〇〇が海津城を出て川中島に布陣する。この日は例年になく濃霧が立ちこめて一寸先も見えない。
この時、謙信は海津城から炊煙がいつになく多く立ち上るをみて、武田軍が動くことを察知した。動くとすれば、一隊を妻女山に向け、一隊は川中島に布陣するとみた。まさに軍神・上杉謙信らしい神がかった察知力である。勘助の策を見事に見破っている。
謙信の魅力は、常人にはない霊能力ともいうべき察知力にある。これから起こるであろう戦場の姿が見えるから、果断な軍略が生まれる。盲人の貞保親王を祖とし、信濃の盲人の支配者といわれた真田武将にも、霊能力に近い察知力がある。謙信よりもスケールが小さいが、真田軍略は常人の判断を超えるものがある。
謙信の行動は素早かった。妻女山に一兵も残さず一万二〇〇〇の全軍が、濃霧を利用して川中島を渡った。これを江戸時代の頼山陽は漢詩「川中島」で「鞭声粛々夜河を渡る」(べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる)と詠んでいる。
武田軍の高坂昌信が率いる一万二〇〇〇が妻女山に攻め入ったら、もぬけの空であった。勘助は物見に出て、妻女山の方に耳をすますが、合戦の響きが聞こえてこない。その時に濃霧の一部が晴れた。
目の前に謙信の一万二〇〇〇が陣を敷き、猛将・柿崎景家を先鋒に武田軍八〇〇〇に襲いかかる寸前であった。このままでは武田軍は謙信軍に踏みにじられてしまう。頼みの綱は高坂軍一万二〇〇〇が戦場に現れることしかない。
この戦は裏をかかれた武田軍の悲惨な消耗戦となった。信玄の弟・信繁、勘助、諸角虎定、初鹿野源五郎ら名だたる武将が次々と討ち死し、信玄の本陣にも謙信軍が迫った。馬を駆った謙信は名刀・小豆長光を振り上げて、信玄に三太刀切りつける。信玄は軍配で防ぐが肩先に傷を負った。
この時に高坂軍一万二〇〇〇が駆けつけた。形勢をみてとった謙信は兵を引き、犀川を渡河して善光寺に撤退した。頼山陽の「流星光底長蛇を逸す」の場面である。勘助、謙信の勝負は明らかに謙信の勝ちであった。
息もつかせない戦場の有様は、小説なら子細に描ける。テレビ・ドラマでは平面的には描けない。ガクトが演じる謙信の存在感を、どう盛り上げて、川中島の決戦につなげるか、謙信のキャラクターと、当代稀な戦略家の面を伏線としてプレーアップすることによって、勘助の討ち死が光芒を放つのではなかろうか。そうすれば視聴率もあがる。
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