1002 感性の劇場型政治から脱皮を 古沢襄

私は半世紀以上、日本の政治をみてきたが、権力の座を駆け上がるドラマが、頂点に達すると坂を転げ落ちる衰亡のパターンに興味を持った。幾たびか、興亡のドラマを見続けると、新政権が出来た途端に、政権の座を去るシーンを思い描いてしまう。
芸能界も同じである。新しいスターが登場する時の心のときめきは観客席にいても楽しい。だが、頂点を越えたスターは光芒を失い、新しいスターに追われる。そこの儚さに無情を感じ、とり憑かれた。
これは感性の世界だと思う。政界も芸能界も感性の世界でドラマが繰り返された。そして去っていった権力者やスターは、あまり顧みられない。むしろ新しい権力者やスターによって意識的に消去されてしまう。時には憎まれる対象者になる。
私はひとたび結んだ友情は、相手が死ぬまで結び続ける頑なところがある。自分では長所でもあり、欠点だと悟っているが、七十五年間も生きてきて、ますます頑固となったので、相手に裏切られても変えるつもりがない。幸いにして、まだ裏切られたことはない。
森喜朗という政治家は、無所属で当選して以来、細々とした起伏があるが三十数年にわたる交友関係を結んできた。福田赳夫氏に呼ばれて「友達になってくれよ」と紹介されたのが縁になった。付き合ってみると誠実で友情深き男であった。バランス感覚が豊かで、根は愚直な正直者である。
正直にいってマスコミの評判はあまり芳しくない。小渕首相の急逝によって総理となって以来、マスコミの筆誅はさらに厳しくなった。私も森氏の欠点は人並み以上に知っているつもりだ。サービス精神があるから数々の失言もしてきた。だが森氏の美点は顧みられていない。総理の資質に欠けるとさえ酷評されて官邸を去っている。
官邸を去る日「経世会支配に風穴を空けたことだけは自負している」と電話で森氏は言ってきている。その森氏が官邸に入る日に「経世会の支持を失えば、森内閣は砂上の楼閣になる」と私は言った。
このふたつは矛盾していない。田中角栄政治には光の部分もあれば、影の部分もある。経世会が衰退したので、角栄政治の罪の部分だけが論じられているが、角栄政治によって日本は世界第二の経済大国になり、一億総中流意識を持つ時代がきた。
だが田中支配が長期にわたって続いたので、水が淀んできたのは否めない。「田中派にあらずんば人にあらず」という風潮は、奢り以外の何物でもない。森氏は経世会の支持を得ながら、田中支配を突き崩す宿命ともいうべき役割を担って、それを果たした功績があったと私は思っている。それはまた経世会の変化を求めることでもあった。
森・小泉・安倍・福田と続く清和会から総理が続くことは、田中支配と同じように水が淀む危うさがある。森氏もそれを意識している。
そこで問題となるのは、日本人の感性ともいうべき国民性からの脱皮であろう。角栄政治には光の部分もあれば、影の部分もあるという複眼的思考が育たないと、多様な価値観を認める意識が生まれない。好き、嫌いだけで判断するのは誤っている。
間もなく官邸を去る安倍政治についても、今は全否定に近い論調が多いが、果たした役割はいずれ再評価されねばならぬ。それは安倍政治を擁護する視点で言っているのはなくて、感性でものごとを斬ることからの脱皮が必要だからである。
福田政治は、当然のことながら安定の裏にダイナミックな躍動感に欠けるという批判を伴う筈である。今、安定感を求めている国民は、いずれ福田政治に飽き足りない思いをするに違いない。
一人の政治家がふたつの相反する理念と手法を持つことは、神様でないかぎり出来うる技ではない。国民は劇場型の政治に拍手喝采を送る感性から、少しでもいいから合理的な知性で政治をみる成長を遂げないことには、いつまでたっても日本の政治は二流、三流と言われねばならない。
戦前の昭和十二年に古沢元は、日本人の特徴である感性について鋭い批判を浴びせている。合理的な思考がないまま日米戦争に突入して、敗戦を招いたのだが、戦後も感性という日本人の特徴が改まっていない。
小林多喜二の研究(人民文庫第一巻9号・昭和12年 古沢元)
<(前略)よく言われることだが、由来、日本の文学に限らず、日本人には感性があっても、系統化する知性がない、ばかりか知性を軽蔑して、”したり顔”をしたり、悟ったような顔をしたり、おかしな国民性がてんめんとして続いている。
そういう風習が生まれた理由はいろいろあるだろうが、最大のそして決定的な理由は、世界に全く類例のないほど長く非文化的な封建時代に逼塞していたからだと、史家が証明している。(中略)
鎌倉北条氏が貞永式目を制定した年から徳川氏滅亡までの期間には七百七十余年の距離があった。これは封建制度の支配期間だけのことだから、その勢力の発生や存続の歴史となれば、もっともっと長い筈だ。
世界の有史以来まだ二千年にもならぬというのに、日本はその中およそ半分は封建時代に逼塞していたということは、あまり大きな声で吹聴したくない。その間に、民衆の思索したり、哲学したりする習癖が育つべくもなくされたことは事実だ。
日本には人生観、処世観はあるが哲学がないという伝統が、情けない哉、世界無比の特徴である・・・と三木清あたりの人が証明している。

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