1003 ムシャラフ・ブッド密約? 宮崎正弘

来年一月総選挙。反米、反中、そして「タリバン擁護」のパキスタンは何処へ行くのか
パキスタンは第二次大戦後、イギリスの人工的線引きによって現在の版図となったが、イラン寄りのバルディスタン地方は、スペインのバスクのように「分離独立」運動の動きが強く、民族として主流派パシュトンにはタリバン支持のイスラム原理主義が多く、そして、いまのムシャラフ大統領はパシュトン族ではない。
ややこしい。その上、パキスタンは中国と半世紀以上にわたって軍事同盟を組んでいる。ややこしいのはムガール、チムールの帝国の旧版図にイスラムとヒンズーを意図的に割拠させて、イギリスは分離隔離支配が戦後も可能なようにと、インドとパキスタンを生まれさせた。
歴史的宗教的民族的にインドとパキスタンは地域覇権を狙う。つまりは近親憎悪の関係。1971年、東パキスタン独立戦争はインドが助けて、いまのバングラデシュが生まれた。パキスタンは反射的に中国との軍事同盟を深め、だから両国は共に核武装をしている。
八年前のクーデタは、ムシャラフが企図したものではなく、偶然の結果からだった。即ち当時のシャリフ首相がムシャラフ外遊中に、かれの排除を図り、帰国便が飛行場に着けないように封鎖した。ムシャラフを載せた飛行機はイスラマバードからカラチへ向い、かれの同調者が空港の閉鎖を解いたため、ガソリンの切れる直前に着陸。
シャリフの意図とは180度、逆に、軍が立ち上がり、ムシャラフが陸軍参謀総長が一夜にして権力を掌握した。 シャリフは海外へ亡命する。
9・11テロ以後、ムシャラフは米国の駐留を受け入れ、代わりにえたのが膨大な経済援助。パキスタンは経済的離陸を強めた。
一方、パキスタン経済を潤すのは中国からの投資である。日本からはカネと中古のクルマ。企業進出は殆ど無い。
既報のように紅色清真寺(赤いモスク)に立て籠もったイスラム原理主義過激派をムシャラフは軍を突入させて暴力的に排除しだが、直後の演説でムシャラフ大統領は、なんと「中国に感謝」した。この事件の原因は、中国人のポルノショップとセックスパーラー経営だった。
パキスタンの大混乱が始まった。米国の憂慮、中国の策動。タリバンとイランは、この混乱の隙に乗じ勢力拡大を狙い、隣国アフガニスタンの治安はますます回復から遠くなり、とどのつまりは大混乱は納まらない。
来年一月にパキスタンは総選挙を迎える。一応、同国は民主主義国家である。
そこでムシャラフが打った手は、海外亡命中の政敵二人を分離させ、一方と同盟、他方とは敵対という路線である。そうしないとムシャラフ与党は到底選挙を戦えないからだ。
シャリフ前首相は先週、強引にサウジアラビアからイスラマバードに帰国し、その場で拘束され、次の便でサウジに追い返された。
シャリフは帰国ジェスチャーを演じることによって自派の選挙における拡大を狙った。一方、最大の政敵である筈のブッド元首相は、亡命先の倫敦からムシャラフ支持を発表し、最近はムシャラフの密使と倫敦を舞台に「密約」をすすめていた。
 
ブッドが首相に返り咲き、係争中の裁判は棚上げする(ブッドは汚職で訴えられている)。かわりにムシャラフ大統領の政権維持を認めるが、すくなくともムシャラフは陸軍参謀総長のポストを兼ねるべきではない。これがブッド・ムシャラフ同盟の密約の基本であろう、と推測されている。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より)

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