十日間の検査入院をして退院してきた。杜父魚ブログを十日間もお休みしたことになる。病名は十八日に家族立ち会いの下で告げられるが、骨髄腫なのであろう。その覚悟は出来ている。
それにしても連日の採血・レントゲン検査と腎臓生検、骨髄窄刺という痛い思いをした。私が入院した病院の東病棟は腎臓病の患者ばかりであった。米国では諸病のもとは糖尿病といわれていたのが、現在は腎臓病だといわれている。
私の母は二十歳の時に腎臓病を患い、それが持病となった。腎臓病からくる高血圧、高脂血症で脳血栓を患って、十年間の闘病生活のうえ七十二歳でこの世を去った。母の弟も同じ病で六十歳台で亡くなっている。
私も三十五歳で腎臓病を患い、高血圧、高脂血症の治療をしてきたので、体質的にみて腎臓病だと思っていた。三年前に血液検査でMタンパクが異常に増えていることが分かった。尿蛋白が出る身となっていた。
腎臓生検をホームドクターから勧められ、どんな検査か分からぬまま受けることにした。同じ病棟で四人が腎臓生検を受けたのだが、僅か二十分ほどの検査なので呆気ない思いがした。
簡単にいえば、背中からエコーで腎臓の位置を探って、四カ所ほど腎臓に針を刺して組織を取る。それだけのことだから、あまり大げさな検査ではない。ただ検査後、十七時間は絶対安静を求められた。右手は止血剤を入れた点滴、左手は一時間ごとに自動測定する血圧検査。これをナース・ステーションで徹夜で監視する。
もっと厳しかったのは尿道にパイプを通してタレ流しの状態に置かれた。腎臓に傷をつけるのだから、膀胱に血の固まりを生んだら膀胱炎になるおそれがある。身動きが出来ないまま十七時間を過ごすのは、まさに難行苦行であった。結局は身じろぎもせずに一夜を送るはめとなった。尿道からパイプを外されてホッとした。
翌日はCTスキャンで腹部の断層撮影、さらには頭部を正面と側頭部のレントゲン撮影。トコトンまで私の身体を調べられた。検体は高速の電子顕微鏡で詳しく調べた結果、四十年間も悩まされた私の腎臓病は完全に治癒しているとお墨付きを貰った。
高血圧、高脂血症と尿蛋白の原因は、腎臓病からくるものではなくて、初期の骨髄腫にあるのではないか、というのが検査に当たった腎臓病の専門医と血液内科の専門医の所見であった。
三日後に血液内科の専門医によって骨髄窄刺の検査を受けた。三年前にこの専門医によって骨髄窄刺を受けているが、この時は骨髄腫という状態には至っていないと診断され、爾後三ヶ月に一度、血液検査を蓄尿検査を受けながら三年の歳月が経っている。
腎臓病が治癒しているので、再度の骨髄窄刺によって精密検査をすることになった。十八日に検査結果が判明する。この十年間、血圧は150-75で高値安定している。もっとも腎臓生検の時には203-100と異常な血圧の数値となったが、翌日には180-80にまで落ちている。
私自身は骨髄腫という意識がない。通常は骨のあちこちが痛みを感じるというが、その症状はない。ただ三年前に較べるとMタンパクの数値が増えているのが気になる。
骨髄腫は治癒が可能な疾病ではないので、最初に行うべき最も重要なことは、治療が必要かどうかの決定だという。現時点では、早期の骨髄腫において免疫能を正常化したり、進行を抑制したりできる治療法は存在しない。
骨髄腫と判定されるとこれまでのMP療法と呼ばれる化学療法で、平均生存期間は三年、奏功率(骨髄腫を示すMタンパクが半分以下になること)は50%。従来使われてきた抗がん剤は、なかなか治療効果が上がらなかったが、この一、二年で新しい治療法や新薬が次々と登場し、平均生存年数も五年に延びたという。いずれにしても厳しい疾病であることには変わりない。
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