近くの都立猿江恩賜公園の銀杏は殆ど落ちた(落とされた?)が10月半ばの15日にも、雌の木の下の植え込みを分けてまで探している老人を何人も見かけた。
周囲を水田に囲まれて育った身には、大の大人が何故こんなに都会の人たちが銀杏に夢中になって、さらおうとするのか判らない。確かに葉っぱにはボケを防ぐ何かがあると読んだことがある。
そこからすると、実にはもっと効き目のある薬が含まれていると信じるのも自然である。だがつり竿を持って来てたたいたり、はては猿のように登っていって枝を揺する様は、イチョウの薬は既に効かないとの感を深くする。
イチョウ(銀杏) Ginkgo 中国原産の落葉高木。裸子植物である。中国では銀杏のほか、公孫樹とも書く。
また葉の形がカモの脚に似ていることから鴨脚樹ともいったが、この中国語を日本人がヤーチャオと聞いたことから、やがてイチョウとよぶようになったと、大槻文彦が「大言海」でのべている(後述)。
イチョウの仲間は古生代末に出現し、主として中生代ジュラ紀に世界各地で繁茂した。東京都や東京大学のマークに使われている。
現存する唯一の種であるイチョウは、メタセコイアとともに「生きている化石」として知られている。明治時代、イギリスの植物学者が日本にも繁茂しているのを発見して驚いたという記事を読んだことがある。
中国では古代から聖なる木とされ、寺院の庭で保護されてきた。そのため絶滅しなかったというのが植物学者の定説だったが、近年、中国西部の峡谷で野生のイチョウが発見されている。
日本でもイチョウは信仰と深くむすびついた木として大切にされ、各地の神社や寺に巨樹がみられる。国指定の天然記念物にも20本を超えるイチョウの名木がある。
高さは10~40mになる。葉は扇形で、葉脈は付け根から先まで二またに分岐をくりかえし広がっている。大きな枝から、短枝というひじょうに生長のおそい小さな枝を出し、そこに毎年、葉をつける。雌雄異株で、雌花と雄花は別の木につく。
日本での花期は4月。雄株のつける花粉は風にはこばれ、雌株は秋に異臭のする肉質の外種皮におおわれた種子をつける。このため、雌株は観賞用にはこのまれない。中華料理や日本料理では、銀杏(ぎんなん)とよばれる種子が珍重される。
イチョウは公園や庭園によく植えられる。大気汚染、日照不足などの都会の悪条件にも強いため、大都会の街路樹としても植えられる。
このような多角的な利用のため、さまざまな園芸品種がつくりだされてきた。トウガタイチョウ、シダレイチョウ、オハツキイチョウ、チチイチョウ、キレハイチョウ、フイリイチョウなどである。
分類:イチョウ科イチョウ属。イチョウの学名はGinkgo biloba。
『大言海』序文がかたる銀杏の語源探求
国語辞書『大言海』5冊は、著者文彦の死後、兄の大槻如電のほか、関根正直、新村出らの指導協力により、1932~37年(昭和7~12)に刊行された。この辞書の特色は、出典を示し、独特の語源解釈を試みていることで、ここに紹介した銀杏(いちょう)の語源についての探索にもその本領がよく出ている。
[出典]大槻文彦『大言海』、冨山房、1932年 大槻文彦「大言海の編纂に当たりて」
<銀杏(ぎんなん)の成る「いちよう」といふ樹あり。この語の語原、並(ならび)に仮名遣は、難解のものとして、語学家の脳を悩ましむるものにて、種種の語原説あり。
この語の最も古く物に見えたるは、一条禅閤(ぜんこう:兼良公、文明13年80歳にて薨(こう)ず)の尺素往来に、「銀杏(イチヤウ)」とある、是れなるべし。
文安の下学集にも、「銀杏異名鴨脚(アフキヤク)、葉形、鴨脚(カモノアシ)の如し」とあり。字音の語の如く思はるれど、如何(いか)なる文字か知られず。
黒川春村大人の硯鼠漫筆(けんそまんぴつ)に「唐音、銀杏の転ならむ」などあれど、心服せられず。
降りて、元禄の合類節用集に至りて、「銀杏、鴨脚子、」と見えたれど、是れも如何なる字音なるか解せられず、正徳の和漢三才図会(わかんさんさいずえ)に至りて、「銀杏(ギンナン)、鴨脚子(イチエフ)、俗云、一葉(イチエフ)」とあり。
始めて、一葉の字音なること見えたり。然(しか)れども、一葉の何の義なるか、不審深かりき。加茂真淵(かものまぶち)大人の冠辞考、「ちちのみの」の条にも、「いてふ」と見ゆ。
仮名遣は合類節用集か、三才図会かに拠られたるものならむか。語原は説かれてあらず。さて和訓栞(わくんのしおり)の後編の出でたるを見れば(明治後に出版せらる)、「いてふ、一葉の義なり、「ちえ」反「て」なり、各一葉づつ別れて叢生(そうせい)せり、因(よっ)て名とす」と、始めて解釈あるを見たり。
十分に了解せられざれど、外に拠るべき説もなければ、余が曩(さき)に作れる辞書「言海」には、姑(しば)らくこれに従ひて「いてふ」としておきたり。
然れども、一葉づつ別るといふこと、衆木皆然り、別に語原あるべしと考へ居たりしこと、三十年来なりき。
然るに二、三年前、支那(しな)に行きて帰りし人の、偶然の談に『己れ支那の内地を旅行せし時、銀杏の樹の下に立寄り、路案内する支那人に樹名を問ひしに「やちやお」と答へたり。
我が邦の「いちよう」と声似たらずや』と語れるを聞きて、手を拍(う)ちて調べたるに、鴨脚の字の今の支那音は「やちやお」なり。
(支那にては、この樹を公孫樹と云ひ、又、鴨脚とも云ふ)是(ここ)に於て、案ずるに、この樹、我が邦に野生なし、巨大なるものもあれど、樹齢700年程なるを限りとす。
されば鎌倉時代、禅宗始めて支那より伝はりし頃、彼我の禅僧、相往来せり。その頃、実の銀杏を持ち渡りたる者ありて、植ゑたるにて、その時の鴨脚の宋音「いちやう」(今の支那音「やちやお」はその変なり)なりしものと知り得たり。
その傍証は、実の銀杏を「ぎんあん」(音便にて、ぎんなん)と云ふも、宋音なり。実の名、宋音なれば、樹の名の宋音なるべきは、思ひ半(なかば)に過ぐ。
畢竟(ひっきょう)するに、尺素往来の「いちやう」の訓、正しきなり。是れにて、30年来の疑ひ釈然たり。因りて、この樹名の語原は、鴨脚の宋音にて、仮名遣は「いちやう」なりと定むることを得たり。>
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1068 イチョウは鴨脚樹(ヤチャオ) 渡部亮次郎

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