1074 「ジンギス汗非難決議」をしたか? 古沢襄

シベリアの旅を二回して気づいたことがある。ロシアではジンギス汗は禁句なのである。ブリヤート共和国にも二度行ったが、ブリヤート人は見たところ日本人と変わらない。同じモンゴル種だからである。
通訳にウラン・ウデ大学の学生が二人ついてくれた。十年前のことである。親しみを込めて「君たちはブリヤート・モンゴルだね」と言ったら、男子学生は「ロシアのブリヤートです」と首を振った。
女子学生はもっと厳しい。毅然たる態度で「違う」と言い切った。首都ウラン・ウデから南に二四〇キロ行けば、広大なモンゴル草原が広がっている。モンゴルとの交流も盛んな土地柄なのに知識階級はモンゴルの用語にこだわりを持っている。
作家の司馬遼太郎氏は「ロシアについて」の著作で次のように言っている。
ロシア平原の代表的な都市であるモスクワはモンゴル人によって破壊しつくされ、ひとびとは虐殺されつくした。キエフも瓦礫の山になった。モンゴル軍はロシア平原に居すわってキプチャク汗国(1243ー1502)をたてた。
以後、ロシアにおいて「タタールのくびき」といわれる暴力支配の時代が、二百五十九年のながきにわたってつづく。この歴史をロシア人は忘れていない。
前置きが長くなったが、ここからが本論になる。
「タタールのくびき」はロシア人の心の奥底にあって消えないが、ロシア議会が「ジンギス汗非難の決議」をしたことは寡聞にして聞いていない。むしろモンゴルの国家とは友好関係を結んできた。
過去の怨念を掘り起こすことよりも、現在の友好を重視している。それが常識というものであろう。そうでないと、仇討ちの連鎖が繰り返される。
トルコは国内にクルド反体制派をかかえてテロ事件が頻発しているが、アルメニアを攻撃する意図はない。それなのにオスマン帝国時代のアルメニア人虐殺を掘り起こして、米下院外交委員会は、アルメニア人虐殺を非難する決議を行った。
これでは同盟国のトルコ政府が憤激するのは当然でないか。イラク領内に搬入する米軍の物資の過半数は、トルコ領内から治安が比較的安定しているイラク北部のクルド地域に持ち込まれている。その同盟国に突然、斬りかかった様なものだ。
政治は安易に過去の怨念を掘り起こすものではない。それは歴史家に委ねるべきであろう。むしろ現在の友好の輪を広げる努力を重ねることが必要ではないか。そうでないと新たな紛争の種を蒔き散らすことになる。

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