守屋前防衛次官のゴルフ接待で話題となっている防衛専門商社「山田洋行」は、細川内閣の当時、衆議院予算委員会で野党だった野中広務氏が中西啓介防衛庁長官を追及した質問で出たことがあった。
一機550億円で購入が決定していた早期空中警戒機の購入経過に関する疑惑追及だったと記憶している。航空自衛隊出身で装備畑に絶大な影響力を誇っていた田村秀昭沖縄開発政務次官も俎上にあがった。
田村氏は国民新党の参議院議員だったが今回の選挙では立候補せずに引退している。防衛大学校の第一期生で航空自衛隊に入隊。また、京都大学大学院で冶金工学を専攻し、博士課程を修了した工学博士。異色の防衛問題専門家であった。
毎日新聞は元国連職員で民主党の東祥三・元衆議院議員が山田洋行の顧問として採用されていると報じている。
1969年に設立された山田洋行がオーナーの山田正志氏の下で、中堅の防衛専門商社として急速に頭角を現したのは、防衛庁OBの宮崎元伸前専務の力量に負うところが大きい。宮崎氏は防衛庁のみならず旧田中派・経世会にも幅広い人脈を持っている。
売上高340億円、関連会社出向を含めて社員約150人の防衛専門商社・山田洋行だったが、95%の株式を保有する山田氏がこの会社の売却交渉を始めたことから、宮崎氏との確執が始まった。宮崎氏にしてみれば、防衛機密を扱う山田洋行を、一般商社並に売却するのは防衛庁OBとして許し難い行為と映ったのであろう。
宮崎氏は昨年六月に山田洋行を退社、腹心の営業マン30人を引き抜いて九月に「日本ミライズ」を立ち上げている。米ゼネラル・エレクトリック社の代理店まで日本ミライズに奪われるとあって、山田洋行と日本ミライズの民事訴訟という泥試合になった。
守屋前防衛次官にしてみれば、山田オーナーの行為は許し難いと宮崎氏同様に思ったことが容易に想定できる。その危機感が宮崎氏との度重なる会合になった。しかし、それが度を越えたゴルフ接待になっては、何とも弁明の余地がない。
<防衛省の守屋武昌・前事務次官(63)とのゴルフ交際が明らかになった防衛専門商社「山田洋行」(東京都港区)の元専務(69)が、同省幹部OBの天下りを積極的に受け入れていたことが分かった。同社元幹部によると、多い時で8人前後に達し、同省幹部の家族の採用にも力を入れていた。民主党の東祥三・元衆議院議員(56)も顧問として採用しており、高額の受注を維持してきた裏で行われた政官界対策の一端が浮かんだ。
同社元幹部によると、元専務は人事を含む実務の一切を取り仕切っており、150人程度の社員数(05年当時)に対し、多い時には8人前後の同省OBを顧問として受け入れていた。別の商社幹部は「規模に比べOB採用数は多い」と言う。
同社に天下りした複数の同省OBによると、通常は退官時と同程度かそれ以上の給与が支払われ、将官クラスなら個室もある。大半は週2、3回の出勤で、業務はほとんどないが、同省が導入予定の装備品に関する情報入手や、同省に営業をかける際のアドバイスを求められるという。
同社顧問を務める同省OBは「会社の仕事には直接はタッチしない。出勤したらパソコンでメールをチェックする程度」と話し、別の元顧問は「個室に電話もコンピューターもあるので、好きな時に好きなことをしていた」と明かした。
OB採用は、グループ会社でも行われ、元専務は同省幹部の家族ら親族の採用も指示。元社員は「お金を渡すと贈収賄になるが、身内の採用は問題ない。貸しを作っていたように見えた」と語る。一方、元専務は「受け入れはお付き合い。OBには役所にあいさつに行く時、口添えしてもらう程度」と説明した。
東元議員は、政治家の紹介で10年ほど前に顧問に就任。先月12日、取材に「政治活動の報告や世界情勢の分析が私の仕事。将来、私が力を持てば便宜を図ってもらいたいという企業家心理はあると思う」と話した。
東元議員は元国連職員。90年に公明党から衆院選(旧東京6区)に出馬・当選し、4期(4期目は自由党、後に民主党)を務めたが03年、05年の衆院選で落選した。(毎日新聞)>
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