「生命尊重の深沢晟雄村長」をブログに書いた翌日、深沢氏の女房役だった佐々木吉男元助役が亡くなった。今朝、二十三日未明のことである。享年九十六歳。古沢元・真喜夫婦作家の文学碑建立に当たっては、建立委員長を務めて頂いた。十年前のことである。
ことしは古沢元の生誕百年に当たる。佐々木さんは新町小学校で古沢元と机を並べた仲。四歳違うが「元さんは男気のある秀才でガンシタ」と手放しで誉めてくれた。
一九三六年(昭和11)の九月から十月にかけて北海道で陸軍の特別大演習があった。ソ連を仮想敵にした実戦的な演習だったが、若き佐々木老は青森・弘前の第八師団第三十一連隊の兵卒で参加している。
第三十一連隊は昭和天皇の皇弟である陸軍少佐・秩父宮が第三大隊の大隊長。第三大隊は満州事変で、中国の張学良軍に包囲されたが、自力で脱出した武運赫々たる部隊。東北と九州の部隊は、日本陸軍の中でも最強といわれている。最弱は東京と大阪の部隊と相場が決まっていた。
「えらいことになった!」と佐々木二等兵は、秩父宮少佐の目にとまらない様に汲々としていたという。しかし秩父宮少佐は皇弟らしくない庶民的で人情味ある上官であった。
長身の秩父宮は6キロ行軍で雨中行進になると「外套を着ろ!」と命令したが、自分は外套もマントも着ない。ズブ濡れになって、行進の先頭に立つ秩父宮をみている中に、佐々木二等兵は「侠気のある人だ」と猛烈に好きになる。深沢村長に対する献身的な仕え方といい惚れた男に尽くすのが佐々木氏の身上であろう。
今すぐにでも西和賀町に駆けつけ、亡き佐々木氏の葬儀にでたい思いに駆られるが、骨髄腫で感染症にかかり安くなった身では思うにまかせない。遙かな地から安らかな旅立ちをひたすらお祈りしている。
1092 深沢村長の女房役の死 古沢襄

コメント