1972年9月、当時の田中角栄首相に同行して初訪中した時は拝見する事ができなかったが、6年後、78年8月に秘書官として園田直外務大臣に随行して訪れた時には中国幹部は外国賓客と応対する時、足元に痰壷を置いて痰を吐く事を見た。
<人民大会堂は、中華人民共和国の首都北京の天安門広場西端に位置する建築物である。人民大会堂は、中華人民共和国の建国10周年を記念して、ボランティアの手によって、1958年から1959年にかけてわずか10ヶ月で建造された。17万平方メートルを超える床面積を有し、300室の会議場・休憩室・事務室を備えている。
各会議場には中国の行政区分にちなんだ名前が付けられており、各地の風土にちなんだ装飾がなされている。
突貫工事で完成したため、近年天井や壁の崩落や電気配線の故障が起こり始め、改修工事が数回行われている。
内部は全人代や特別の行事がない限り見学ができる。見学に当たっては靴の上からビニールのカバーをつけて入場する。見学時間は毎日変動し、また中国各地からの団体観光客により入場に長時間かかる場合が多い。>「フリー百科「ウィキペディア」
カーッ ペェ。首都北京の人民大会堂。ご承知のように外国賓客と会談する時、ここでは向かい合う事をしないで小さいテーブルを脇にしながら並んで座る。
ふと見ると中国側は自分の右足の下に壷を置いている。当方には置いてない。当時の国家主席華国鋒や副首相鄧(とう)小平と園田外相との会談に立会ったが、会談中、カーッ ペエッと平気で痰壷に痰を吐く。「失礼」も何も無い。
園田氏はよほど堪えたのか「鄧(とう)小平との会談のとき、ワシは必ず痰を吐いてやる!」と意気込んだ。「なかなか痰が出なかったが」と後で言っていたが、カーッといったかと思うとつかつかと鄧氏の足元へ数歩歩いて行って「ペッ」とやった。
70を前にして子供じみたところを失わない人だった。それでも会談の冒頭、鄧氏から「あなたは何歳ですか」と問われたのが屈辱だと怒っていたが、中国では相手の年齢を問うのは礼儀だそうです、と説明しても納得しなかった。
ところで私は元記者だから、中国政府の関係者に「あなた方は何故痰を吐くのか」と聴いた。「それは常に口の中に砂が入って来るからです」「それじゃ外国人の口には入らないと決めているのか」と聴き返したが、返事はなかった。
説明によれば「黄砂(こうさ)」が常に飛んでいるので口の中に砂が入って、ざらつくのでつい、カーッ ペエッとやりたくなるらしい。それなら外国からの賓客にも痰壷を用意すべきだが、そこまでは考えないのが中国人である。
日中平和友好条約の締結を契機として始まった経済の開放改革による経済のべら棒な発展。ところがそれに伴う水質汚濁、大気汚染が甚だしく、特に汚染された大気は九州を中心に日本に流れてきて光化学スモッグを惹起させ、日本人の健康を蝕んでいる。
工場は工業排水を川にそのまま流す。だから長江(揚子江)や黄河の汚染は酷いらしく、中国では水が近く使えなくなると言われている。東シナ海、日本海の汚濁も間もないだろう。
大気の汚染に至っては北京オリンピックの開催を危ぶむ向きさえ出てきた。さらに海を渡って九州を中心にした日本にも光化学スモッグをもたらしている。
私が思うには中国では痰を吐くことを相手に失礼な事だと思わないから、工場が排水、排気を痰を吐くように他人のことなど考えずに吐いているのだ。
ここで突然思い出した。1972年9月に日中間の国交が正常化したのに伴って、彼らは東京に大使館を開設すべく何人かがやってきて都内の新興ホテルに滞在した。
その時、ホテルの社長がこぼした。「何しろ、そこらじゅう、絨毯に唾を吐くのです、どんな偉い方もです」。あの頃東京に黄砂は飛来していなかったはず。要するに痰や唾を処構わずに吐くというのは習慣になっていると言う事ではないか。
早く言えば、中国という国家もまた習慣の如く、国家として吐いている痰が中国からの公害なのである。自分が動けば他人に迷惑が掛かると言う考慮が皆無だからできる国家的な傍迷惑。それが中国の越境公害なのである。
嘗て日本では1960-1970年代の高度成長期に「歪(ひずみ)」と称する公害問題が起きた。これは自分はもとより他人に迷惑な事だと考えたから公害対策を懸命に行った。それが中国の毒で光化学スモッグ再発生だ。
しかし中国人には痰が恥だとか他人に対する迷惑だとの価値観は無い。だから誰が死のうが倒れようが知ったことではない。しかも共産党が生き残るのは高度成長が不可欠なのだから、越境公害はいつまでも続く理屈だ。2007・11・06
1161 国家が吐く痰 渡部亮次郎

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