太田述正コラム#2169(2007.11.9)による<二つの公開質問状>転載させて頂きます。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071108/crm0711082143035-n2.htm、
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071108/crm0711082143035-n3.htm)
田村秀昭さん、ご無沙汰しております。上記記事によれば、18年前のあなたの初出馬の際、山田洋行が2億円もの選挙資金を提供したということですが、どのようにして航空自衛隊在職中に山田洋行とそのような密接な関係を築かれたのですか。
また、これだけの資金を提供してくれた企業に対して、あなたはどのように報いたのですか。
小沢さんとは常に行動を共にされてきたあなたが、最後に小沢さんから離れて国民新党に移られた本当の理由は何だったのでしょうか。
東元民主党議員を山田洋行に紹介されたのはあなただと聞いていますが、それは事実ですか。事実だとして、東氏をどのような理屈をつけて山田洋行に売り込まれたのでしょうか。
小沢さんが山田洋行から政治資金をもらっており、最近これを小沢さんはお返しになりましたが、小沢さんと山田洋行の間をとりもったのも田村さんではありませんか。
ひょっとして他の防衛関係企業からも政治資金が小沢さんに入るようにあなたが手配をされていた、ということはありませんか。
守屋事件に関連してメディアはあなたについても若干報道を行うようにはなりましたが、あなたを国会に参考人等招致をする動きが全くないので、私が質問をさせていただきました。
田村さんは、18年の長きに渡って自衛隊関係者の衆望を担って参議院議員を勤めてこられた方なのですから、以上のような様々な疑問に対してきちんと自衛隊関係者ひいては日本国民に説明をする責任があると私は思います。ご回答をぜひお願い申し上げます。(「クライン孝子の日記」より)
田村秀昭前参院議員(ウイキペデイア)
1932年、東京都に生まれる。東京都立大学附属高等学校から防衛大学校へ進み、1957年に第1期生として卒業。直ちに航空自衛隊に入隊。
また、京都大学大学院に進学する。 京都大学大学院では冶金工学を専攻し、博士課程を修了。1964年に工学博士を取得。
航空自衛隊では、F-4EJ技術連絡官(在米1年間)、技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、航空自衛隊幹部学校長(空将、1986年12月―)を歴任。
航空自衛隊を退官し、1989年の第15回参議院議員通常選挙で初当選。
田村氏は小沢氏側近となり、1993年、自民党を離党し小沢氏の新生党の結党に参加。細川内閣では沖縄開発政務次官。翌年(1994年)の羽田孜内閣では参議院外務委員長。同年末、新進党結成に参画する。新進党で再選。1997年の新進党分裂後は、自由党の結党に参画(自由党で3選)。
2003年、自由党解党に伴い、民主党に合流(参議院外交防衛委員・参議院国際問題に関する調査会委員)。
2005年8月17日、党の安全保障政策への不満から民主党を離党し国民新党の結党に参画した(小沢氏と絶縁)。民主党は新党参画行為を反党行為として除籍処分を下した。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退。
1172 田村氏への公開質問状 クライン孝子

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