1294 吉祥寺の薩摩揚げの店 古沢襄

吉祥寺が若者に人気がある街になったというのはテレビで知っていたが、四〇数年前とはすっかり違っていた。吉祥寺には二年ほど住んだことがある。長女が幼稚園、次女が生まれたばかり。
長女を連れて日曜日にホットケーキを食べにいった店の近くのホテルで、甥っ子の結婚披露のささやかな食事会が行われた。形式ばらない今風の披露宴。花嫁の隣に座らされ、乾杯の音頭をとるはめとなった。
出てきた料理も現代風な懐石料理。吉祥寺は昔の自由が丘と似た雰囲気がある。大学時代に自由が丘に三年ほど住んだことがある。洒落た街で東郷青児の絵が看板の喫茶店でよくお茶をした。今でも自由が丘には、あの雰囲気が残っているのであろう。
吉祥寺が自由が丘と違うのは、街を行く人たち風情があまり気取った様子がなく、サリーマンの街といった気軽なところがある点ではないか。日曜日の雑踏にも、どこか庶民的なところがある。
四〇数年前によく行った薩摩揚げの店がまだあった。敗戦後、間もなくバラック街にできた店。店で揚げたての薩摩揚げを売っていて人気だった店だが、俳優の丹波哲郎夫妻も買いにいっていた。もう六〇年近くになるから廃業したと思っていたが、ちゃんと残っていて客が並んでいた。
四種類の薩摩揚げを買って、それで朝食をすませたところである。嬉しいことに昔の味が変わっていない。辛味のある大根おろしを添えていただく。浅草の七味唐辛子をちょっとかけて食べてみた。
都心の雑踏の中で仕事をしてきた私は東京には未練がない。仕事をするには大都会は恰好の働き場所だが、老年の身には都心を離れた静かな街の方が気持ちが安まる。だが、吉祥寺や自由が丘の洒落た雰囲気は捨て難い。たまに出かけるのは浅草だったが、下町とは違った街を歩いてみるのも刺激的で良い。
ところで愛犬バロンは生まれて初めて六時間以上も一人で留守番をするはめとなった。夜がとっぷり暮れて、暗くなっても誰も帰ってこない。寒くなるし、暗くなってしまったし、甘えっ子のバロンは心細くなる一方。
私たちが帰ったら、すがりついてきて「寂しかったよ!」といつまでも訴える。下痢をしたことがないバロンが、ベッドのシーツに水のような下痢便という粗相をしてしまった。神経性の下痢なのであろう。まだ何となく元気がない。
こんなバロンを見ていると外出する気が起こらなくなる。明日は今年最後の総合病院で採血、検尿の日である。バロンを寂しがらせては可愛そうなので、検査が終われば寄り道せずに家に帰らねば、と思ったりしている。
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