剛腕・突っ張り男のイメージが強い小沢一郎氏と官僚的で面白味のない福田首相というのが世間の相場だが、この二人に共通しているのは饒舌ではない点である。饒舌でないから秘密主義といわれてしまう。
よくしたものでこの二人の政治家を細い糸で結びつけているのが饒舌男の森元首相。しかし森氏も福田・小沢会談のことになると、とたんに口が固くなる。森氏とは政界に初登場した昭和四十四年(1969)以来の四十年近い付き合いとなったが、世間から誤解されることが多い政治家である。
根は律儀でサービス精神が旺盛なのだが言葉足らずで叩かれると極端に反発する。黙して語らずが出来ない性格。少しは悪人になれば良いものを思う時もあったが、叩かれ続きの善人で通してきた。
総理官邸から電話をくれたことがある。受話器をとった女房が「どちらの森様ですか」とやらかして森氏はくさっていた。「総理の森です」とか「森首相です」と言えない男である。誰にでも「森です」で通そうとするのは一種の衒い。稚気愛すべきと思うのだが、世間はそうはとってくれない。
付き合いが長くなれば森氏の非凡なところが分かってくるのだが、この忙しい世の中ではその余裕がない。ノミの心臓とかサメの頭と揶揄されて、それが定着した観がある。しかし”政局観”は一度も曲ったことがない。党人生活が長かったからである。
故人となったが旧友の早坂茂三氏が「森を誤解していた。あの政局観は政界一」と言ったことがある。「売れっ子の早ちゃんが、そう言っても世間はそうは思わないよ」と私は言った。私は森氏は昔の川島正次郎、大野伴睦のような政治家だと思っている。
骨髄腫の罹って以来、森氏とは疎遠となったが、会ったり電話をしなくても森氏の政治行動はほぼ想像がつく。突然の福田・小沢会談で世間は騒然となった。仕掛け人は読売新聞グループ本社会長の渡辺恒雄氏といわれたが「もう一枚のカードがある」と私は言った。
渡辺氏は昭和三十年の保守合同の目撃者である。総論として自民党と民主党の大連立がなければ憲法改正の事業は出来ないとみているのだろうが、大連立は各論に至るまで両党のすり合わせが必要となる。その役者は森氏しかいない。
案の上、表面にでた福田・小沢会談の前に知られざるもう一つの福田・小沢会談があったことが分かってきた。この会談で福田・小沢の信頼関係が構築されたといわれている。信頼関係が出来れば、表面にでる会談は一種のセレモニーになる。
わざわざ人目につく会談をしなくても電話でトップ同士の話し合いは足りる。セレモニーの会談は、それぞれの党内向けのものになる。それが民主党内から反論が噴き出して一頓挫したわけである。
だからといって福田・小沢のホットラインが切れたわけでない。総選挙後を睨んで大連立話が復活するとみておいた方がよいだろう。
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1309 もう一つの福田・小沢会談 古沢襄

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