モスクワと台北の友人から正月にメールがあった。久しぶりである。台湾について書こうと思っていた矢先。今の台湾のことではない。オランダの統治下にあった台湾のこと調べているが、十分な資料がないので延びのびとなっている。
まずはモスクワの近況。プーチン大統領は年頭の挨拶で、ロシア経済はこれからも伸び続けると自信に満ちた演説をしたのは、日本でもNHKが放映していた。たしかにエリツイン大統領末期に極東ロシアを訪れた時には、ウスリー河沿岸の工場は廃業状態で火が消えた惨憺たる状態であった。あれから十年になる。
だが、若いロシア人の男女は自由なロシアの可能性に極めて楽観的であった。貧しくても共産主義のソ連には戻らないという声を、ハバロフスクやウラジオストクのあちこちで聞くことができた。シベリア奥地のイルクーツクでも同じであった。
それから三年後に極東ロシアを訪れたが、ハバロフスクの市民たちの着ているものが格段と良くなっていた。消えていたウスリー河沿岸の工場地帯から煙がさかんにあがっていて、ロシア経済が活況をとり戻しつつあるのを実感して帰国している。プーチン大統領初期のことである。
原油価格の高騰はプーチン政権の追い風になっている。特定の金持ち層まで生まれている。だがモスクワの近況は新たな問題を惹き起こしていた。友人のモスクワ便りは、”上面が黄金、水面下は泥沼”と容赦せずに表現している。
友人はモスクワの貧しいロシア娘たちを相手に生け花の師匠をやってきた。草の根の日ロ文化交流を実践して外務大臣の表彰も受けた。だが物価が高騰したモスクワでは、以前は安く借りることができた生け花の展覧会場が「今では高くて、高くて手も足も出ません」と悲鳴をあげている。
20年続いた日本食品のスーパ-も昨年暮れに店を閉じたという。モスクワの日本人経営のレストランも三軒、相次いで店を閉じた。「場所代が高くて更新できないのです」と実情を伝えている。
「フランスの有名なフオーションも一年持ちませんでした」というから、モスクワの現状は資産バブルの異常現象に陥ったのではないか。このバブルのお陰で、友人のアパートが異常な値上がりをしているので「今売れば日本でも十分にアパートを買えるほどになつています」という。
古希を過ぎても日ロ文化交流の礎になる気でいた友人だが、二十年近くなったモスクワ生活を切り上げて帰国するつもりになっているそうだ。一時は日本の年金でモスクワで優雅に暮らせるといった状況が、一転して物価高から帰国する事情は、まだ日本には伝わっていない。(続く)
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1349 モスクワと台北から便り(1) 古沢襄

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