台湾を訪れてから三十数年の歳月が経った。台北、台中、高雄をめぐり景勝地の日月潭で遊んだ日が懐かしい。日月潭が日本統治下に作られた人造湖だったと知ったのは最近のことである。
私は少年時代から高砂族の美少女に憧れを持っていた。「少年クラブ」に出ていた高砂族の美少女の写真が、この世の人とも思えないくらい美しかった。十日間ほどの台湾滞在だったが、高砂族の美少女を発見できなかった。
それもその筈。当時の台湾人口は1000万弱だったと思うが、九割以上は漢族。中国大陸の福建省あたりから漁業・貿易・密輸の場として移住・一時居住をしていた子孫である。
私が探し求めた高砂族の美少女は、数千年前からマレー・ポリネシア系の渡来した原住民で一割にも満たない。多くは山地の居住したが、長い歴史の中で漢族と同化して純粋な高砂族はさらに少なくなった。美少女は同族結婚の中で生まれたのではないか。
台湾について本省人と外省人という分け方がある。外省人とは国共内戦で敗れて台湾に逃げ込んだ蒋介石一派。100万に満たない外省人が台湾の支配階級となった。しかし元をたどれば支配された本省人も大部分は同種の漢族。
この本省人は日本統治下で日本化教育を受けている。皇民化教育というものだが、これに反発した「霧社事件」などの蜂起も起こった。日清戦争以降の日本の台湾統治は、後藤新平、末永仁、八田與一などによって民生安定に力を注いだ。敗戦時の台湾出身の日本兵士は約20万、このうち3万以上が戦死している。戦局不利となった比島に高砂族の斬り込み部隊がグライダーで突入し全員が戦死した。
日本化された本省人に対して、大陸から逃れてきた蒋介石軍の弾圧は1947年の二・二八事件が最たるものである。同じ漢族という意識などない。あくまで日本化された原住民に対する弾圧であった。
台湾を逃れた本省人は日本で独立運動を組織し、あるいは日本に帰化する者もでた。しかし大部分は台湾にとどまり、蒋介石の国民党の支配下に置かれた。その数は約900万。徴兵制の国府軍で本省人は佐官どまり、将官にはなれなかった時代もあった。その一方で蒋介石軍の兵士たちは除隊後、定職がなくて土木作業員になる者が多かった。
その時期に私は台湾に渡ったが、タクシーの運転手は蒋介石の息子の特務(スパイ)だと本省人の記者から注意されたものである。だから本省人の李登輝前総統が登場し、国民党の独裁体制を廃し、台湾の民主化政策を進めた時は昔日の思いを抱いたものである。
台湾の友人のメールは「台湾は与党が立法院選挙で大敗、との観測が流れています。この1週間でどれだけアナウンスメント効果があるかどうか。総統選挙は別物なのですが、こちらも相当に厳しい状況にあるようです」とあった。再び台湾は激動化の時代に入るのかもしれない。
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1350 モスクワと台北から便り(2) 古沢襄

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