1391 タカからハトへ(1) 古沢襄

岸内閣末期から池田政権が誕生した頃と今の政情は似たところがある。安保条約の改定批准に政治生命を賭けた岸元首相は、国会に警官隊を入れ、院内の廊下に座り込んだ野党議員をゴボウ抜きするなど強行策に終始している。
外交政策で国論を二分したが”国家百年の計”のためには一歩も退かない覚悟を岸は示した。岸の後をうけた池田は外交よりも国民生活が第一、”所得倍増計画”を掲げて政情の沈静化に腐心した。ハト派路線だが、内政重視型の政権には外交では目立った動きが出ない傾向がある。
安倍前首相には祖父の岸のような開き直りがないが、政治的なスタンスは新保守主義、明らかにタカ派である。安倍氏が属した清和会が外交タカ派集団というが少し違う。清和会は福田赳夫氏が創った政策集団だが、基本的には反田中角栄の安定経済成長路線を唱えた派閥。高度経済成長路線の対立軸である。
最初の頃は、岸に近い古参のタカが多かったので、外交タカ派の集団と目されたが、やがて清和会にはタカとハトが混在する様になった。早い話が安倍前首相はタカだが、父親の安倍晋太郎氏は日ソ外交推進のハト。森元首相もタカではない。赳夫氏は蒋介石の台湾派タカだったが、いつの間にか北京寄りのハト?息子の福田首相は、最初からリベラル・ハト派を標榜している。
私はもっと皮肉な見方をしている。清和会は経済政策からくる政策理念を立ててきたから、外交は二の次なのである。だから対立軸となった旧田中派との関係の濃密度で外交タカともなれば、外交ハトにもなる。福田首相の場合は旧宏池会(旧池田派)との提携が基本にある。
福田・田中の怨念の対決には、正直にいって回りの者がへきへきとしてきた。いつまでも赳夫氏の執念にはお付き合いできないという空気が清和会に生まれている。清和会が政権の一角を占めるには旧田中派との提携が欠かせないと考えたのが晋太郎氏。竹下氏や小沢氏とのパイプが生じていた。
この頃、清和会は赳夫氏から晋太郎氏に代替わりした。赤坂プリンスホテルの別館にあった清和会の事務所に行くと入り口の晋太郎氏の部屋は千客万来、奥の赳夫氏の部屋はひっそりとしていた。海部内閣の頃である。この情景は福田首相の目には焼き付いているのだろう。(続く)
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