シベリアからの渡り鳥「マガモ(真鴨)」は干拓前の八郎潟(秋田県)には大群が秋の終わりごろから飛来し、これを狙い撃つ散弾銃の銃声が冬の間中響いていたものだ。
当時の農村に肉屋やスーパーは存在しないから、馳走といえば飼っている鶏を潰すぐらい。滅多に無かったが、近所の鉄砲撃ちが獲った八郎潟の鴨を呉れて、鶏とは比べものにならない美味に驚いたものだ。
干拓八郎潟の残存湖の沿岸で鴨肉を1羽1万円で販売しているところがあると言うので取り寄せて見たが大失敗。雑穀の匂いがきつくて、幼い頃食べた美味しさはまるでなくて、1度で懲りた。渡って来たマガモをそのまま大きなカゴに囲い、雑穀で飼育した奴だったのだ。
そのマガモが東京湾に極く近いとはいえ、林野庁貯木池跡地の猿江恩賜公園に数十羽、飛来し、草を食っているのを見て奇異な感覚に襲われた。湖や沼で小魚を食っているのじゃなかったのか、と。
そうじゃなかった。世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービスによれば、ここ深川のマガモたちは公園の片隅に貯木池の記念として作られた池(1600平方M)に飛来したものらしい。
それにしてもこの人工池には虫はもちろん小魚1匹居るわけでは無い。何を目的に飛来したのであろう。群の脇では東京湾の鴎の群も居る。これらも何を目的に真水の池に来ているのだろうか。観察不足、いまだ不明である。
マガモ(真鴨)はカモ目カモ科の鳥。北半球の中緯度地方以北で繁殖し、寒冷地のものが冬季に日本など南へ渡る。分布が広く、個体数の多いカモの一つ。
日本では冬鳥として多数渡来し、波静かな海、河口、湖沼、河川などに生息する。また北海道や本州で繁殖するものがある。
繁殖期以外は植物食で、草の葉、根、実や穀類などを食べる。全長約59cm。雄は頭部が金属光沢のある緑色で、このため俗にアオクビと呼ばれる
分布が広く、飼育も容易であったことから古くから家禽(かきん)化され,アヒルがつくり出されたそうだ。
古来、カモの肉は美味なので、日本人は古くからこれを愛好した。貝塚から出た鳥骨もカモ類のものが多い。
《播磨国風土記》にはカモを羹(あつもの=熱い吸い物)にした記事が見え、偶然ではあるが、これが文献に記載された日本最古の料理ということになる。
しかし、それ以後貴族や武家の支配階級はキジ(雉)を最高の美饌(びせん)として尊び、カモはやや軽視されていた。
近世に入ると、武家は鶴を珍重したが、カモは庶民層によってこよない美味とされるようになり、カモやカモの味の語は、無上のご馳走や快楽、あるいは獲物、幸運などを意味するようにもなった。野卑なたとえで「○○は鴨の味」とよく聞いたものだ。
井原西鶴の作品にはカモ料理の名が多く見られ、とくに《日本永代蔵》には「鴨鱠(かもなます)、杉焼のいたり料理」という語があって注目される。
「いたり料理」とは手のこんだ贅沢な料理の意味である。脂皮を除いて細切りにした鴨肉を温めた酒で洗ってワサビ酢をかける鴨鱠、杉箱の底に塩をぬりつけて火にかけ、その中でみそを溶かしてカモ、タイ、豆腐、ネギ、クワイ、ヤマノイモなどを煮て食べる杉焼といったものが代表的な贅沢料理だったというわけである。
なお、「アイガモ」はマガモとアヒルの雑種である。
四つ足を食べなかった時代の日本人にとって鴨肉はそれほど珍重されたのだ。1970年代後半の福田赳夫内閣時代、宮内庁の鴨場で各国大使や閣僚らを招いて催される伝統の「鴨猟」が残酷だと批判されたことがあった。
その後、どうなったか知らないが、少なくともそれまで「伝統行事」だったという事は「鴨の味」が伝統として伝わっていたと言う事でもあろう。2008・01・18
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