1478 徳を失うと経済が衰える 丸山公紀

~曽野綾子氏の「透明な歳月の光」から~
産経紙の1月28日付けの曽野綾子氏連載の「透明な歳月の光」で、氏が日本の経済が衰える原因に日本人の徳が失われたからではないかと指摘されていたが、大いに納得した。
このエッセイの書き出しは、あまりマスコミでは取りあげていないのだが、1/18に召集された通常国会での大田経済財政政策担当相が、「もはや日本は『経済は一流』と呼べなくなった。世界の総所得に占める日本の割合は2006年、24年ぶりに10%を割り、一人当たりGDP(国民総生産)はOECD(経済協力開発機構)加盟国中18位に低下した」と演説したことに触れ、国会ではどよめきが起こったというが、氏は直感的にこうなることを予測していたという。
そして、まず何といっても休みが多くなり、大体三日毎に休む計算となり、「働かなければ貧乏する」という原則からすれば、日本人が怠け者となり、こんなに休んでいては個人商店と同様に客が寄りつかなくなり、栄えることがないと指摘される。
さらに休みが多くなることによって、日本からIT産業を生み出した職人芸も消失しつつあることも日本の体力を失わせたというのだ。
かつて日本人は高度経済成長時代、勤労意欲が高く、さらに倹約であり、働ければ働くほど社会と生活は豊かとなったが、バブルが弾けた後はいくら働いても豊かになったという実感を持つことができなくなった。
そのことが、そして何のために働くのかという目標も政府も個人も長らく見出すことができなったという事情もあるだろう。そのことが、世のため人のために働くという公共精神をも萎えさせてきたが、人のために役立ちたいという、本来、日本人が持っていた価値観を根こそぎ奪ってきたのが、目標を提示することのできなかった政府であり、マスコミであり、日本人自らであったのではないかと思う。
氏は、そのことを次のように指摘される。
直接の経済行為と関係なさそうだが、日本人が利己主義者になり、他人のために手を貸す姿勢を教えることは、それが自由意志による選択であろうと、資本主義に奉仕するか、軍国主義の犠牲になることだという風潮も、国家の貧困と関係あるだろう。
この箇所は実に奥が深い。換言すれば、氏が言う「複雑で柔軟な徳の力」こそ、日本人が本来持っていた特色であったが、それが資本主義や軍国主義という言葉によって指弾され、その大切さが顧みられなくなってしまった、と指摘されているのである。
今日の経済の衰えとは、外的要因というよりも、やはり日本人の精神が病んでいることにあり、内的な国力の衰えがあることを確信した。ここに教育再生の原点があると思った。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(2月1日現在1466本)

コメント

タイトルとURLをコピーしました