叔父さん(父の弟)の葬儀から1週間も待たずに叔母さん(父の妹)の葬儀である。小生はこの2月で57歳になるが、歳を重ねると葬式がやたらと増えてくるものだ。不祝儀は祝儀の10倍はある。
叔母さんは享年86。農家に嫁いだが、32歳で夫が破傷風で亡くなった。大黒柱が突如なくなったのだからそれは大変で、4人の子供は育ち盛り。舅、姑とともに叔母さんは大車輪でがんばり、見事に子供を育て上げた。
叔母さんは還暦を迎えて隠居したが、それはバブル真っ盛りの時で、長男坊は「今どき百姓を続けてもしかたがねえべ」と不動産業に転じた。田地田畑をつぶしてマンションを建てていった。
最寄り駅まで徒歩4分、新宿へ30分、銀座へ1時間の好ロケーションだから事業は急成長。自宅を建て替え豪邸と立派な日本庭園を造った。庭園の向こう側にちらっとマンションが見えるので、「あれは目障りだねえ」と小生が言うと、長男坊は「まあ、うちのマンションだからしょうがない」。
長男坊が白いベンツで愛人のもとへ通っているという噂が親戚中に広まったのがバブルの頂点で、あとは一気に下り坂。資金繰りがきつくなり、よせばいいのに自宅まで担保(300坪の土地と建物に根抵当権設定)に入れて借金をしていたから、一家はあっという間にアパート暮らしへ。叔母さんは豪放磊落でいつも大きな声で笑う人だったが、この事件を境に体も一回り縮んでしまった。
このアパート暮らしは半年くらい続き、豪邸に戻ったときには自宅の100坪を残してすべての土地は他人の手に渡っていた。日本庭園も猫の額に縮小されていた。
塀のすぐ向こうには住宅が密集し、もはや龍安寺の石庭のような趣は消えた。無残であり、それは晩年の叔母さんの思いだったろう。趣味の菊作りもやめてしまった。
長男坊は不動産会社の社長から社員に転落した。ベンツも愛人も、なによりも金と信用も失った。葬儀は自宅でひっそりと行なわれたが、旧家なのに参列者は数えるほどだった。
東京近郊の農家が先祖伝来の土地を次代に残すのは実に難しいもので、農業は先細りだ。JA(農協)は「もはや農家相手では商売にならん、一般顧客を開拓せよ」とはっぱをかけているという。
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1489 白いベンツと愛人と 平井修一

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