九州の雄・島津家の発祥の地をめぐってNHKが鹿児島県出水市と放映したから、もともと「島津家発祥の地」を観光スポットにしていた宮崎県都城市が、こちらこそ本物と異議を唱えている。観光に力を入れている東国原宮城県知事からも一言ありそうである。
戦国大名の名家も、もとを辿れば名もなき土豪に過ぎぬ。土豪が力をえて周辺の土豪を従え地方豪族となる過程で自分の家にハクをつけようとする。その多くは藤原家、橘家、源家、平家に出自を求めている。いわゆる「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」だが、この家系を辿れれば、いずれも天皇家から出ている。
かくいうわが家・古沢家も室町時代に権勢を振るって滅びた赤松家の流れ。米が取れない山の狩人・播州赤松村の土豪だが、村上天皇第七御子具平親王の末孫と称している。具平親王から六代目の季房なる人物が播磨国に罪をえて流され、この都の貴公子に土豪の娘を提供して、生まれた子が赤松家の棟梁になった。
この手の話は全国にいっぱいある。都から配流となった貴公子に土豪が娘を配して、その血統を高めて、のし上がる。本当も嘘も取り混ぜて、日本中が天皇家の末裔で溢れかえっている。島津家も開祖の忠久は源頼朝の血が流れているというのが通説。これは次回に述べるが、当面のゴタゴタ騒ぎを夕刊フジが伝えている。
<NHK大河ドラマ「篤姫」で鹿児島県出水市が「島津家発祥の地」と紹介されたことで、本家を自任する宮崎県都城市が、NHKにかみついた。1924年の市制施行以来、島津発祥の地をうたってきた都城市にとってまさに青天の霹靂(へきれき)で、市民からNHKに抗議の電話が寄せられた。大切な観光資源の価値を根幹から揺るがされた都城市は、「うちが本物」と19日に意見書を提出する予定で、絶対に譲らない姿勢を見せている。
都城市では「篤姫」がスタートするずっと前から、島津発祥の地としての足固めを進めてきた。2月の臨時議会では、市内の島津家私邸を歴史観光施設として整備する目的で5億7000万円で買い取ることが決まったばかりだった。
都城市秘書広報課の青木真州男さんは「計画自体は『篤姫』とは全く関係なく3年前からありました。島津家に伝わる1万点に及ぶ武具や甲冑、古文書などの史料は重要文化財として登録を申請準備中です」と、その正統性を主張。NHKの紹介には「え、そうなの?」と職員一同、ひっくり返ったという。
同市によると、島津家発祥の由来は、源頼朝と側室、丹後局(たんごのつぼね)の子、惟宗忠久(これむねただひさ)が鎌倉から「島津庄」(現在の都城市)に役人として派遣され、地名にちなんで島津と名乗ったのが始まり。この忠久が島津家の初代となった。
市側が都城島津家第28代の久厚氏から買い取ったのは、市内早鈴町にある敷地と建物、土蔵、石倉、門に家臣を祀った社、幕末の剣道場まで、名家の往時をしのばせる歴史ファン垂涎の宝の山だ。
青木さんは「市としては史実に基づいてこれまで島津家発祥の地として積み重ねてきたものを冒涜(ぼうとく)されたようなもの。1回の放送で全国に“偽(にせ)”だという印象を与えかねない」と、NHKには、歴史事実への正しい理解を求め、都城を島津家発祥の地として紹介して欲しいと求めていく。
一方、出水市は、1月20日の放送で忠久が出水市内に薩摩、大隅、日向3国の守護所を置き「島津家の礎を築いた」と紹介された。
実際、市内には島津家初代から5代目までの墓があるが、これまで島津家発祥の地としてPRしたことは1度もなく、出水市観光課係長の岩元亮二さんは放送を見て「何でかなあ」と首を傾げたという。
全国有数のツルの飛来地で、ツルを目当てに年間70-80万人が訪れる出水市では、篤姫のロケ地となった日本最大の規模を誇る武家屋敷群とのセットがお決まりの観光コースとなっている。
徐々に観光客が増えている出水市だが、篤姫効果というより、昨年11月に放送されたバラエティ番組「田舎に泊まろう!」(テレビ東京系)と、今年1月にNHKで放送された「鶴瓶の家族に乾杯」で立て続けに紹介されたことが大きいという。岩元さんは「全くの偶然ですが、この追い風を利用しなくてはと思っています」と、静かなツルの里に千載一遇のチャンスと意気込む。
島津発祥の地を巡って両市が争う構えは見せていないが、騒動の発端となったNHKは、「意見書を見てからでないと何ともお答えできない」と困惑していた。(続く)
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1506 島津家の発祥の地は?(1) 古沢襄

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