1512 神奈川県の日本史必修 古沢襄

日本史を県立高校の必修科目にすると神奈川県が決めた。アホな”サヨ”は戦前の国史の復活になると騒いでいる。教育評論家の中には生徒の負担増にならないかと心配する意見もある。まさに漫画チックな百花斉放。
世界の中で自国の歴史を学ばない国は日本だけであろう。敗戦後、60年以上も経ったのに日本史の必修がニュースになること自体が可笑しい。しかし日本史は歴史観によって解釈が様々である。日本史が必修でない時代に育った教師は何を教えるのだろうか。
それよりも自国の歴史を重んじなかったこの国の在り方が問題である。もっと言うなら日本の歴史は教科書で教えられるものではない。教科書の歴史は世界史にしろ日本史にしろ、およそ面白くない。極論をいえば教科書なんて、そんなものである。
唯物史観が全盛の時代には史実を無視した日本史が横行している。社会主義国家の歴史教育は偏向教育の最たるものである。歴史学徒が最初に学ぶのは、様々な歴史観の吟味である。ひとつの歴史観で左右された歴史を暗記したところで何の役にも立たない。むしろ有害とさえ言える。
私は歴史は自ら学ぶべきものだと割り切っている。学ぶべき材料はいくらでもある。しかも対象となる材料は多岐にわたる。広範な知識を持つことが歴史を知る第一歩。そこから常識が育ってくる。
イギリスのケンブリッジ大学にしてもオックスフォード大学にせよ歴史教育に力を入れている。歴史的な素養の上に法律学など専門分野の知識が施される。日本の官僚たちは歴史的な素養が欠落したまま法律を学んできた。だから”法匪”を大量に生んでいる。コモンセンスという常識がない。日本の常識は世界の非常識といわれる所以である。
だいたい日本人は活字離れしてテレビなどの影響を受けた”映像人間”が多くなった。自ら思念し、土砂降りのように降ってくる情報量の中から真実を見分ける力が失せている。一億が総白痴化して、ちょっとしたことで右に左に揺れ動く時代になった。
歴史的な素養がないのは政治家も同じ。もっぱら大衆迎合に憂き身をやつしている。この国の将来を見据えた見識がない”政治屋”が国会に蝟集していると言ってもよい。それが権力亡者となって猿山合戦を演じているのだから、これも漫画チック。無定見な政治猿を税金で飼育している国民もそろそろ矛盾に気がつくべきではないか。
神奈川県の高校で日本史必修を決めたことは、それ自体が戦後の風潮を変えることにはならないと思うが、一石を投じたことだけは確かである。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(2月10日現在1501本)

コメント

タイトルとURLをコピーしました