中国毒入食品事件におもう
大きな戦争が起こるたびに、見知らぬ国の地理について詳しくなる。かっての日支事変や、近年ではアメリカのイラク侵攻がそうだった。それまで知らなかった地名が、頭に刻まれることになる。
中国製毒入り餃子が、全国民を震撼させている。メタミドホスとか、ジクロルボスが、私たちの語彙に加わった。国民の生命と安全にかかわるから、戦争だ。
賞味期限や産地偽装どころではない
これまで中国製の有毒食品や、オモチャが諸外国で大きく報じられてきたというのに、日本の企業が中国からいい加減な管理体制しかとらずに、食品を大量に輸入し続けていたのには、呆れ返るほかない。中国国内でも有毒食品がこの五年あまり、深刻な問題として取りあげられてきた。
それなのに、日本のマスコミは中国製食品の危険について取材することなく、健康に支障のない国産食品の賞味期限や、産地偽装をめぐって大騒ぎをした。そのために食品を毎日、大量に棄てさせていた。マスコミはどこを見ているのだろうか。
与野党も同罪だった。福田首相は昨年十一月に訪米してホワイトハウスを訪れ、ブッシュ大統領と首脳会談を行ったが、さしで話し合ったのは通訳を入れて一時間だった。通訳が時間を半分とるから、正味は僅か三十分だった。首相は日本を出発してから、二十六時間後に帰京した。
なってない福田、小沢の訪中
福田首相は十二月に訪中して、四日間も滞在した。胡錦濤主席、温家宝首相、呉邦国全人代委員長などの最高幹部と会談した他に、野球のユニフォームに着替えて、温首相とキャッチボールに興じたり、北京大学で講演し、北京の小学校や、天津市の日中合弁の自動車工場を見学した。
四日目には山東省曲阜市まで足を伸ばして、孔子廟を訪れた。そのような暇があったら、日本へ輸出している食品工場を視察すればよかった。
小沢民主党代表は昨年十二月はじめに、四十四人の民主党国会議員を率いて訪中した。同党議員を連れて胡錦涛主席と会談したが、へりくだって「感謝致します」「感動致しました」を連発して、胡主席の機嫌を取りむすぶことにつとめた。
小沢党首の一行は、中国に三日間滞在した。民主党は先の参院選挙中以来、「生活が第一」というスローガンを掲げてきたのに、中国の食品の安全性について関心を向けることがなかった。中国に媚びることによって、存在感を増そうとしたのだったら、見当違いである。
福田首相も、小沢代表もじつに脇が甘い。脇が甘いという表現は相撲界の用語であるが、防護の姿勢がしっかりとしていないために、相手につけこまれることをいう。
どうしてアメリカに対しては「日本国民は食品について敏感だ」と言い張って、アメリカ産牛肉の輸入を完全に解禁することを拒んできたのに、中国製食品を野放しにしてきたのだろうか。中国において環境汚染がいかにひどいものか、日本でもよく知られている。中国国内ではこれまで有毒食品によって毎年数千人が死に、数百万人が病んでいるものと推定されている。だが、これまでアメリカ産牛肉を食べて、健康を損ねたアメリカ人はいない。三億人のアメリカ国民がモルモットがわりになって、証している。
中国は警戒しなければならない。私たちは長いあいだ、中国に憧れてきた。日本の絵師たちは、海によって隔てられている中国を理想郷に見立てて、山水画を描いてきた。しかし、絵から龍が跳びだしてきて、暴れることを知らなかった。いまだに、古い中国観をいだいている日本人が少なくない。
中国から大量に食品を輸入して、日本国民が中国製の有毒食品漬けになっている。山水画から有害食品という龍が抜け出して、茶の間に襲いかかっている。
第二次大戦がアジアまで捲き込んだもっとも大きな原因は、中国が途方もなく混乱していたためだった。もし中国が安定していたとしたら、日米が戦うことがなかっただろう。日本とアメリカは中国の深い泥沼に、足を掬われてしまった。
中国儒教の中は「孝」のみ
中国には歴史を通じて、公(おおやけ)という概念がなかった。四千年のあいだに、数多くの王朝が興っては滅びた。日中が同文同種といってはならない。中国と日本はきわだって対照的な国である。
儒教をとろう。中国は儒教を生んだが、日本に渡ってくると、まったく違うものに変わった。中国の本場の儒教のもっとも大切な価値は、「孝」である。
ところが、日本に輸入されると、「孝」のうえに「忠」が乗って、「忠孝」となった。もとの儒教は、仁、義、礼、知、信が基本の事柄となっており、日本のように忠が重んじられることがない。
私はアメリカやヨーロッパに招かれて、日本文化について英語で講演することがある。冒頭で日本文化と中国文化がまったく異質なものであることを強調して、儒教を例にとることにしている。そして、「孝」を「ファミリー」、「忠」を「パブリック」と訳する。
私たちの日本だけが、十九世紀後半にアジアの諸民のなかで明治維新を行って、近代化に成功することができた。日本ではパブリックをファミリーのうえに置いて、公を一族よりも優先したからだった。
中国では簒奪者がしばしば「天命」という大義名分を翳して現れては、王朝を倒した。簒奪者が新しい王朝の主となって、皇帝を偕称した。易姓革命である。そして、どの王朝も人民を収奪して、恣しいままに贅に耽った。そのために、王朝と人民のあいだに、つねに緊張関係が存在した。このような王朝は、わが国になかった。
中国では人々が自己中心にならざるをえなかったから、公の概念が育つことがなかった。そのために、中国では政治と経済がつねに腐敗し、巨大な負のエネルギーが渦巻いてきた。今日の中国の民族性も変わっていない。
中国は弱肉強食の易姓革命を繰り返してきた結果として、健全な社会が形成されることがなかった。〃近代中国の父〃といわれる孫文が、中国人は公の精神を欠いてまとまりがなく、「一盤散砂」(皿に盛った砂)のようだと慨嘆したのは、よく知られている。
「和」と「公」を強調する17条憲法
それに対して、日本国民は歴史を通じて皇室を中心として結束し、和を重んじてきた。日本は新古今集からとった国歌「君が代」の歌詞にあるように、細石(さざれいし)が巌(いわお)となる国柄である。国歌を斉唱するたびに、何と日本の国柄にふさわしい歌なのだろうかと思う。
今から千四百四年前に、聖徳太子が『十七条憲法』を制定した。『十七条憲法』は「和」と「公」を強調している。そして、第四条が「礼を以て本とせよ。其れ民を治むる本は、要礼に在り。(略)百姓礼あれば国家自ら治まる」と諭している。
中国では儒教が礼を基本的な価値としてあげているが、「和」と「公」の心を欠いた礼は、虚ろなものでしかない。『十七条憲法』は第十七条で、大切なことを全員でよく相談して決定することを命じており、世界最古の民主憲法である。それなのに、政府は四年前に『十七条憲法』発布千四百年を、盛大に祝おうとしなかった。日本国民と世界に、日本の国柄を示す絶好の機会だった。
日本人と中国人とでは、食習慣をとっても、まったく異なっている。中国人は食人種である。読者が訝るのであれば、吉川英治の『三国志』(巻頭で劉備が猟師の若妻の肉に舌鼓を打つ場面がある)、近代中国文学の巨人である魯迅の『狂人日記』を読むことをすすめたい。最近では、中国共産党秘密文書をもとにして書かれた、『食人宴席 抹殺された中国現代史』(鄭義著、黄文雄訳、光文社カッパブックス)がある。人民文化大革命中に全国にわたって敵味方が相手を殺しあって食べたという、凄惨な事実が克明に描かれている。
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