皆さんは「第10雄洋丸事件」を知っていますか?
1974年11月、東京湾で当時国内最大級の石油タンカー「第10雄洋丸」と貨物船が衝突・炎上しました。海上保安庁や消防が消火活動につとめましたが、死者33人。
しかも10日以上たっても鎮火しなかったため、東京湾外に曳航したうえ、海上保安庁が防衛庁に災害派遣で第10雄洋丸の処分を要請したのです。
防衛庁(宇野宗佑防衛長官)は、護衛艦4隻と魚雷を積んだ潜水艦、対戦哨戒機14機を出動させ、まる2日にわたり烈しい砲雷爆撃を加えて、火災発生から20日後にようやく第10雄洋丸を沈没させました。
撃沈の報せは、沈没を確認した護衛艦長→護衛隊司令官→護衛隊群司令官→護衛艦隊司令官・・・と段階的に順を追って報告されていきました。
さらに地方総監、潜水群司令官、航空隊司令官などへの報告も加わり、しかも各報告は暗号化するきまりだったため、その暗号を組んだり解いたり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながらノロノロと上にあがっていったのです。
そんなことをしているうち、宇野長官には海上保安庁長官から「ご協力ありがとうございます。ようやく沈みました」との報が入りました。
これが宇野長官への初めての撃沈の報告です。
大事な報告が、自分たちのルートではなく、海保からのルートでトップの耳に入ったのです。また、わざわざ暗号に組んでいたであろう沈没の様子は、翌日の新聞紙上で詳細に書かれていました。
・・・30年以上前のこのできごとは、防衛庁では危機管理の失敗例、教訓として残っているはずでした。
今回のイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故の際の、石破防衛長官、福田総理への報告の遅さをみて、そして中国製冷凍ギョウザ中毒事件の発生から厚労省把握までの経過をみて、私はこの事件を思い出し、怒りとともにみなさんに紹介した次第です。
『有事の報告は「ショート・サーキット」「拙速」で』は、危機管理の基本です。
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1549 有事報告は「ショート・サーキット」 佐々淳行

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