正式に火ぶたを切った台湾総統選、事実上すでに終盤。ふたたび「国民投票」の投票日設定が問題に。米国の圧力が響く。
▲「国民投票」(公民投票)が総統選挙のネックになる?
李登輝前総統の爆弾発言が飛び出した。ただし大型爆弾にあらず。「国連加盟をもとめる国民投票は総統選挙とは別の日におこなったほうが良い」(タイペイ・タイムズ、2月23日)。
すでに台湾の中央選挙管理委員会は、総統選挙日に同時に「国連加盟、是か否か」の国民投票をおこなうと正式に決めている。
これは法律にしたがって台湾国内で手続きを踏んだ署名が集められ、272万人もの賛成署名があつまるという民意を受けての決定で法律的な齟齬はない。
そこで国民党は、古い古文書を持ち出すかのように、「『中華民国』として、国連への復帰の賛否を問う国民投票をおこなうことは譲れないが、総統選と違う日に実施するのが良い」と呉伯雄主席が22日に会見し、路線を一歩後退させて、民進党と明確に一線を画して見せた。背後にあるのはワシントンへの屈従である。
民進党は「『台湾』名義での国連加盟」を強固に主張しており、これが米国の強い介入を招いているが、意にかえさない。
「なぜ台湾名義の国連加盟が重要なのか。それは台湾が事実上の主権独立国家であるにもかかわらず、正式国名が定まらず、外来政権がつくった憲法は現実と多くの点で矛盾し、正常な国家と認められないために国際機関から仲間はずれにされ、主権在民という意識が台湾国民に徹底されていないからだ」(陳隆志・台湾新世紀文教基金理事長)。
▲なぜ基本や原則が雲隠れしたのか
在米評論家のアンディ チャンが言う。「プラセボとは『偽薬』のこと、つまり薬名があって薬効の成分を含んでいないニセモノである。台湾は民主国家としての人民、領土、国家制度がありながらその効力が認められない。
台湾がプラセボ民主国家である理由は何処にあるか?
理由は中国人にある。毛系中国人と蒋系中国人の妨害で台湾は今でも独立国家として認められない。中国の台湾領土占有宣言で台湾が独立できないからである。次にアメリカや日本などの諸外国が中国に反対を表明しないからである。中でもアメリカが62年も台湾の国際的地位を故意に曖昧にして、台湾政府の独立に向けた努力を妨害するからである」(AC通信、1月10日号)。
だが総統選挙のイッシューは独立、国連復帰ではなく、経済問題、不況の克服に移行しており、「三不(不武、不統、不独)」を掲げて現実論戦をまっしぐら、米国の言うとおりにやろうという馬英九のほうに現実的打算からか、人気が偏っている。
謝長廷主席は、直近のアンケートをみても一貫して30%前後もの差をあけられた馬候補との世論調査の数字に愕然とするわけでもなく、けなげに選挙運動を展開している。
大陸との「共存共生」を謳い、国民党より或る意味では「三通」に前向きである。
しかし独立色を大きく希釈させた選挙キャンペーンを謝長廷が展開しているため、民進党党内の独立派(とくに新潮流派、独立過激派)などが運動への熱意を失ってしまった。
頼みの綱の軍事金も蝋燭の火をともすようだったが、それも消えかけ、一月12日の総選挙の惨敗のあとは、約束していた財界の一部からの献金もストップした状態という。
ここぞとタイミングを選んで漏洩した馬英九の米国グリーンカード保有問題も、多少の騒ぎがあったが、「それがどうした」という感覚でおしまいになりそうである。
国民党は『不都合な真実』をうやむやにしてしまうことにかけては老獪巧妙である。昨年二月に起訴された馬英九ならびに家族の不正蓄財、市長特別費流用にしても、けっきょくは馬が国民党主席辞任というごまかしだけで乗り切ってしまった。
▲ワシントンの顔色を読む
死活的な問題はどこにあるのか。独立路線を捨ててはいないが、いまの台湾にとって死活的な政治要素はワシントンの介入である。
「現状維持を変更するいかなる試みにも米国は反対する」と強固に主張するライス国務長官は、台湾の国民投票を「不必要な政治的軍事的緊張を両岸に生み出す」とし、ネグロポンテ国務副長官も、「挑発的であるばかりか、誤りである」と明言するくらい。
なぜ、ワシントンはここまで北京の圧力にまけての物言いをするか?1983年に北キプロスが独立を宣言したとき、トルコがただちに認めたが、国際社会は応じなかった。
まるで“一人舞台”のように、独立宣言だけが残って北キプロスにはいまも国連軍が駐留している。同様に、台湾有事の際は米軍が出動せざるを得ず、それが厄介だと米国は認識するがゆえに北京におもねるかのようにワシントンは台湾に圧力を掛け続けるのである。
それは中国が台湾向けに配備した1300基のミサイルの軍事的脅威も心理的に作用している。
「中国は台湾への強硬路線を大きく後退させ、台湾に“猫なで声”で近づく仕草を見せつけるのも、根本的路線は寸毫の変化もないが、目先のタクティックスを変えて、ワシントン経由の圧力をかけさせることに重点を移したからだ」(アジア・タイムズ、2月21日付け)
おもえば李登輝圧勝の96年選挙では、民進党は23%前後しか集票できず、台湾人さえもが、「李情結」と言って、民主化をばく進させた李(国民党主席でもあった)に投票した。李登輝は53%を得た。
2000年選挙は、誰も民進党が勝つとは考えていなかった。だから余裕綽々の国民党がきれいに分裂して、外省人らは親民党を組織した宋楚諭に投票した。
李登輝は副総統だった連戦を支援し、本省人の国民党が推進した。結果は、李登輝が支援した国民党後継の連戦が惨敗し、陳水扁が漁夫の利をしめた(陳水扁が39%、宋楚諭が37%、連戦23%)。
▲予定になかった2000年の民進党勝利
民進党は勝つ準備がなかったから慌ててしまった。練習のつもりで陳水扁と呂秀蓮コンビは生まれたのである。
勝利の直後、陳水扁はなんと国防部長で外省人の唐飛に首相就任を拝み倒し、これで軍の不満をおさえてから諸政策の改変に取り組んだ。
本来なら、このとき李遠哲(ノーベル賞学者)を首相に起用すべきだった、という声がいまも強い。
04年は国民党が盤石の姿勢で巻き返し作戦に臨み、連戦が総統候補、宋楚諭が副総統候補でチケットを組んで挑んだ。
外省人グループが譲歩し、必勝を期したからだ。事前の世論調査は国民党の政権復帰を予測していた。
が、投票日前日におきた陳水扁銃撃事件で、奇跡の0・228%という僅差で陳政権再選となった。国民党はこの敗北を不正投票として認めず、連日数万から数千が総統府前に座り込んで、選挙やり直しを主張した。
結局、陳水扁政権の八年間で内閣は七回も組閣をやり直し、唐飛のあと、張俊雄、遊錫コン、謝長廷、蘇貞昌、張俊雄(再任)と続いたものの、議会が野党優勢のため、あらゆる審議が妨害され、とくに国防予算審議では米国からの兵器購入を国民党が戦術的に真っ向から妨害したため、米国の陳水扁政権への信頼が揺らいだ。ワシントンは陳水扁の指導力の欠陥に愛想を尽かしたとされる。
台湾政治の限界、特にワシントンの影響力の強さを目撃するにつけ、これを迂回的恫喝のバネに逆利用と北京が考えるのは、『孫子の兵法』からすれば、当然と言えば当然の戦術なのである。
そして今時の台湾総統選挙では、北京は一切の強硬発言を控え、直接介入を押さえ、軍事的示威を抑制し、もっぱら『ワシントン効果』に依拠した。
陳水扁政権を見限った最大勢力は台湾の財界、経済界である。六万社、100万人が中国大陸で工場をつくり、店舗を開き、大きな商売を展開している。
89年に天安門事件で世界に孤立したときに、果敢に中国投資を展開したのは台湾だった。累積の投資は米国議会調査局の統計で1800億ドル(世界全体で対中国投資は5600億ドル)。
「ところが台湾経済部の公式統計では473億ドルで、米国の統計との齟齬が1327億ドルもある。これは第三国経由による投資、とくに米国現地法人を迂回した台湾企業の投資である」(高為邦・台湾投資中国被害者協会理事長)。
このうえ大陸との直行便ばかりか、台湾海峡にトンネルを繋ぐなどと言う「三通」を大々的に実現し、直行飛行機便、船便を解禁し、労働者の出入りも自由化すれば、台湾はいったいどうなってしまうのか。
現実のカネだけを目的として台湾が育成したハイテク産業までも大陸に工場移転を続けて、空洞化、国内失業をこのまま放置しておいて良いのか。それらが総統選挙で問われる。
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