1614 占領期の朝日新聞と戦争責任 古沢襄

朝日新聞の今西光男氏から「占領期の朝日新聞と戦争責任」(朝日選書)の著書を頂戴した。副題は「村山長挙と緒方竹虎」。前作の「新聞 資本と経営の昭和史」(朝日選書)も頂戴したが、この副題は「朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩」。
二作とも緒方竹虎を中心に据えて朝日新聞社の歴史を読み解く力作である。今西氏は私が第一線を退いてデスク入りした一九七一年の入社だから現場での面識はない。取材協力で辻トシ子さんや日経新聞の旧友・越智勝幸氏、朝日の堀越作治氏ら同年の人たちの名がみえる。あるいは親戚の為田英一郎氏(朝日)が寄贈本の中に私を加えてくれたのかもしれない。
前作も教えられるところが多かったが、続編に当たるこの著書も戦後政治を読み解くうえで役に立つ。朝日が好きな人も嫌いな人もあろうが、第一線で活躍している若いジャーナリストは一度は読んでおいてほしい。単なる朝日新聞の社史ではない。
緒方は戦前はアカ呼ばわりされ、戦後は東洋風な右翼的な人物視された。実際には戦前も戦後も緒方の姿勢は変わっていない。世間が変わっただけのことである。むしろ緒方の真骨頂は戦前戦後を通じて、朝日の社主・村山家の「資本」の横槍から、朝日の編集権を守る壮絶な戦いを演じたことにある。緒方時代の朝日は優れた紙面を作って定評があった。
祖父の郁蔵氏は蘭学の大家。大村益次郎の足を切開手術したことは、あまり知られていない。父の道平氏は岡山県人で養子。妹尾道平といった。父も蘭学家。緒方は父が内務省の役人として山形県に赴任した時に生まれている。父が福岡県に栄転したので、緒方のことを福岡県人と称する向きがある。
無刀流の山岡鉄舟の門下に幾岡太郎一という剣道の遣い手がいたが、緒方はその弟子で小野派一刀流の本目録と極意免状を贈られている。剣道の極意を極めた達人。だから二・二六事件で朝日を襲撃した叛乱軍の中橋基明中尉からピストルを突きつけられても動じなかった。
代々木の衛戌監獄に入った中橋中尉は出獄する田中軍吉大尉に「朝日に出向いて緒方という人に、甚だ無作法をしたと伝えてくれ」と伝言したエピソードがある。蛇足かもしれないが、緒方の人間の大きさを示すものとして書いておく。
今西氏の記述の圧巻は終章の「かかる時 君しあらばと」であった。緒方氏は1956年1月28日に急逝した。67歳。緒方氏の遺体は朝日の社旗で包まれたという。
朝日新聞は緒方筆政時代、「経営」が(村山家の)「資本」を凌駕する力を持った。(中略)しかし、いまの新聞界には「資本」と「権力」に対峙しようとする気骨ある「筆政」が見当たらない・・・この文章には同感である。緒方氏は吉田首相のことを最後まで「総理」とは呼ばなかった。
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コメント

  1. Orwell より:

    今西氏の近著の発刊を喜ぶ。戦前、戦後の緒方竹虎と朝日新聞の物語だ。それにしても現代の新聞社は、権力にこびるマスコミになってしまった。最近は、反政府的に振舞いつつ迎合するという高等なギジュツもみせる。
    今西氏の現代の緒方を待ちわびる気持ちで第三作を待ちたい。

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