以前ならば、「知恵者」がもっといたように思える。
日銀総裁人事をめぐる混乱を見るに付け、政治がなんとも小さくなってしまった。
民主党の鳩山幹事長は「別の人を出してくれば党首会談を受けてもいい」といった発言をした。
ここに鳩山氏の政治的非力さが透けて見える。鳩山氏がこう言ったからといって、もし、福田首相が武藤総裁案とは違う案を出してきたら、どういうことになるか。
福田首相の政治力はそこで終わる。野党第1党が反対していることは前から分かっていたことで、それを承知の上で出してきたのである。
だから、鳩山氏は事態打開に向けての発言をしたのではない。混迷の責任は福田首相にあるという構図を作り出そうということにすぎない。
福田首相としては、こうなったらテコでも引かないだろう。引いたら、政治的なダメージは取り返しがつかないほど大きい。
副総裁2人の同意が得られれば、このうち1人を「総裁代行」とてしてしのぐ手はある。副総裁案はそれなりに練り上げられたものだったが、これもだめとなれば、決めなければいい。
理事のうちの最古参が「総裁代行」となる。それでいい。
日本の中央銀行総裁が空席になるのだから、世界経済に与える影響は多大なものがあるだるう。株安にはずみもつくに違いない。
だが、今回の構図はきわめて分かりやすい。そう複雑に入り組んだ話ではない。悪いのは民主党。世界中がそう思ってくれる。
これは福田首相にとって悪い展開ではない。民主党はいよいよ政権担当能力の欠落ぶりを天下にさらすことになる。
小沢氏の出方がすべてだ。申し訳ないが、鳩山氏とでは政治家としての器の大きさが違う。小沢氏は「別の人を出せば党首会談を受ける」などという単純な図式で考えてはいない。
「財政金融の分離」が民主党の主張だが、財金分離は金融庁発足で制度としても確立したのだ。そこを見据えない「武藤忌避論」は反対のための反対でしかない。
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1631 日銀総裁人事に見る政治の矮小化 花岡信昭

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