1634 もうひとつのヤルタ協定 古沢襄

ヤルタ協定といえば1945年2月にソ連クリミア半島のヤルタで行われたルーズベルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・スターリン(ソ連)による首脳会談で、第二次世界大戦後の処理について決めた協定。
日本に関してはアメリカとソ連の間でヤルタ秘密協定も締結され、ドイツが敗戦後、90日後のソ連の対日参戦および千島列島、樺太などの日本領土の処遇も決定している。
だが1870年1月17日のヤルタ協定は知られていない。もうひとつのヤルタ協定は、この当時、世界に君臨していたロイター(イギリス)・アバス(フランス)・ヴォルフ(ドイツ)の三大通信社が世界を分割して、それぞれの地域でニュースの独占権を認めた協定である。
ロイターは大英帝国とオランダ、さらには極東を独占領域とした。アバスはフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル。ヴォルフはドイツ、オーストリア、スカンジナビアとロシア。これでみるかぎりヨーロッパの大部分を手中にしたアバスとヴォルフが優位に立ったかにみえる。
アメリカのAP通信社はじめヨーロッパにも通信社が設立されていたが、まだ国内通信社の域を出ていない。国際通信社は三大通信社に限られていた。
その後の歴史をみると七つの海を支配した海洋国家・イギリスは、ロイター王国といわれた国際通信網を積極的に利用している。バッキンガム宮殿のヴィクトリア女王がロイター電を毎日、読んでいたエピソードはよく知られたところである。
大陸国家であるフランスのアバス、ドイツのヴォルフに較べれば、ロイター電の速報体制はケタ違いの強さを持った。イギリス外務省の情報電よりもロイター電が速いとしばしばいわれている。
ロイターが世界に張り巡らした国際通信網は、イギリスの目であり、耳であるといわれた。三大通信社による情報の世界分割は、アメリカの台頭によってもロイターの一人勝ちの様相を示している。
ドイツはヨーロッパにしか通信網を持たない。情報戦に対する価値判断よりも、ヨーロッパにおける軍事力に依存の度を深め、強化策をとった。このような状況下で第一次世界大戦が勃発した。
国際通信網で圧倒的な優位に立ったロイターは全世界に反ドイツ宣伝を行っている。これに対してドイツ海軍はUボートを動員して、ロイターの海底ケーブルの切断に躍起となった。イギリス海軍も修理船を動員して修復作業を行った。第一次世界大戦はドイツの敗北で終わったが、ドイツ政府首脳は「ドイツ軍はイギリス軍には負けなかったが、情報戦でロイターに完敗した」といったのは有名な話である。
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