軍事的敗北が、一国の民をかほどの精神的、物質的な空白に追い込んだ例は、史上かつてなかった。ーー「指導者とは」より ニクソン米大統領
(引用同上)
それからわずか九年後、吉田が首相を辞したときには、日本はすでに自由主義圏第二の巨大な経済の建設へと前進を始めた、強力な民主主義国に変貌していたのである。(終)
吉田首相は、戦後日本の復興に貢献した人物です。しかし、最近はちょっと評判が悪い。それは日本の国防に関連する時に起こります。中曽根御大などが文句を付けることがあります。
しかし、自分もそう云えた義理ではありません。中国の首相に”遠慮・配慮”した結果、以後靖国神社参拝が中国外交カードの一つになったのでした。
■ニクソン元大統領の見方
「指導者とは」(文芸春秋社刊 1986)より、ニクソンさんがみた吉田さんの対米対応を引用しご紹介しましょう。
1)国柄に沿った「改革進捗」
ほんとうの吉田は、心の底では進歩的な政治感覚を持ちながらも非常に慎重な男で、占領軍が試みた一連の性急な改革の性急すぎる点を懸念したにすぎない。
2)民族的「維新力」
もともと日本人は、世界で最も外国からの影響に寛容な国民で、何世紀にもわたって近隣の文化を摂取し続けたが、常にそうした外的要因が日本の社会を破壊せず、より豊かなものにするよう、細心の注意を払ってきた。マッカーサーの改革を受けいれるに当たっても、同様だった。
3)民族的「文化加工力」
マッカーサーは、日本に民主主義的な諸制度を持ち込み、日本人を一日も早く民主化しようとした。
吉田は日本人がそうした新しい自由の恩恵とそれに伴う責任を十分に持つようになるには、一定の時間が必要なことを知っていた。
彼はまた、アメリカで成功したことすべてが必ずしも日本で成功しないことを、見抜いていたのである。
■各国の道路事情
竹中平蔵さんの口癖に「改革のスピードが遅い」というのがあります。しかし、それは亜米利加の広い道路をぶっ飛ばすようにはいかないという事を思いださせます。
お江戸の道路事情が悪いのは、徳川氏が敵の侵入が直線的に為らないようにわざと「曲げて」あるからです。しかし、その凄いところは「中仙道」はまっすぐに作ったことです。
これは攻められて脱出する時の為で、平時はここ一本を重点的に警護するという「戦略的合理性」によるものでした。日本の心を忘れた合理主義者には、なかなか理解の出来ない芸当です。
■私が長谷川平蔵だったら、、
「亜米利加さんの出してくる『年次改革要望書』を、そのままお江戸でやるなんてなぁ、気違い沙汰よ、そうだろう?」*長谷川平蔵(「鬼平犯科帳」池波正太郎著 主人公)
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