1649 情報錯綜のチベット情勢 古沢襄

チベットの騒乱は情報が錯綜している。犠牲者も10人説から80人説あるいは100人以上説まで飛び交っている。中国当局によってラサ入りを禁止され、電話も不通というから、何がおこっているか霧の中に包まれている。
米国が偵察衛星によって、ある程度は状況を掌握しているのではないか。人民解放軍の動きも分かっているのだろう。ラサ入りしている日本人旅行客たちはホテルに缶詰状態。携帯電話も使用できない状態のようだ。むしろメール送信ができれば実情が分かると思うが、まだ現地情報が入ってこない。
こうなると北京にいる伊藤正氏(産経新聞)の情報を信用するしかない。中国当局者の中に伊藤氏の情報ルートがあるからだ。しかし第一報では、さすがの伊藤氏も詳細な現地情報を掴んでいない。それだけ中国当局の情報管制が厳しいことを窺わせる。
<(北京=伊藤正)中国チベット自治区の区都ラサで発生した大規模な騒乱事件に対し、胡錦濤政権は、ダライ・ラマ14世に扇動された分離独立運動グループの策謀とし、武力行使を含めた強硬姿勢で制圧する方針を明確にした。強硬手段は既に海外の懸念や批判を招き、北京五輪ボイコット論を強めかねないが、独立運動の封じ込めは、台湾問題などにも通じる国策であり、自制を求める国際世論に耳を貸すことはなさそうだ。
1951年に中国軍が進攻して「解放」した後、共産党の対チベット政策は、毛沢東の社会主義化路線の下で、チベット人の反感を募らせ、59年3月には、大規模な暴動事件に発展、ダライ・ラマがインドに亡命する事態になった。文革中にはラマ寺院の破壊など、伝統的宗教、文化が弾圧された。
80年3月、胡耀邦・元総書記が主宰したチベット工作会議で、毛沢東時代の誤った政策を正し、自治区幹部へのチベット人大量登用、宗教、文化の尊重、中央からの経済支援強化など8項目の方針を決める。同年5月には胡氏がチベットを訪問、中央と現地の緊張関係は緩和された。
80年代前半の共産党のチベット政策は、チベット人の物質生活を改善、チベット人による自治権を広げるもので、チベット人指導者が頻繁にトウ小平氏ら中央指導者と会談したが、チベット人の精神的指導者ダライ・ラマの亡命政府への厳しい姿勢は変わらなかった。
88年1月、ダライ・ラマ亡命後のチベット指導者になったパンチェン・ラマ10世(全人代副委員長)が急死した後、その後継者選出問題などで、ラマ僧らが独立を求めるデモを始め、翌89年春には騒乱事件に発展。このとき、ラサに戒厳令を敷き、騒乱を鎮圧したのが自治区書記だった胡錦濤氏だった
ブッシュ大統領は、昨年、訪米したチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世をホワイトハウスに招いて会談し、米議会も最高の栄誉である「議会黄金章」も授与、米政府、議会とも、信教の自由を含む人権外交をチベット問題の柱にすえる姿勢を示してきた。
ペロシ米下院議長(民主党)は自治区区都、ラサでの騒乱が拡大した直後の12日、中国当局の強硬措置を非難する声明を発表、この中で「米政府と国際社会はこれを強く批判すべきだ」とブッシュ政権に圧力をかけた。
非政府組織(NGO)の「チベットのための国際キャンペーン」(ICT、本部ワシントン)も14日、「平和的デモへの武力行使を非難した政府は国際非難の輪を広げるよう努めてほしい」とのアピールを発表した。
状況がさらに悪化すれば、米政府としても一段と強い対応を取らざるを得ないのは確実で、大統領の五輪出席の是非が問い直されるのは必至だ。(産経)>
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