1654 ”竹のカーテン”の裏側で・・・ 古沢襄

チベット暴動が甘粛、四川、青海に波及しているという。”竹のカーテン”の裏側で辺境の異民族に対する苛酷な粛清・弾圧が始まったと思う。支那の歴史は漢民族と異民族の抗争の血で彩られている。
北アジアや西アジアの歴史に魅せれた私は、中国西北部の詳細地図を書斎に飾っている。それを見ていると遠くイランの地から、草原を渡ってシベリアのバイカル湖まできた古代トルコ民族の姿が浮かんでくる。
シベリアのバイカル湖には二度訪れたが、インド北部から飛びたったインドガンが途中で中国の青海湖、モンゴルのウブス湖で羽を休めて、バイカル湖に飛来し産卵期を過ごす。古代トルコ民族が通った道は、インドガンの飛翔経路と重なる。
暴動が甘粛、四川、青海に波及していると聞いて胸が痛む。青海省の「青海湖国家級自然保護区」は想像するより近場にある。青海湖は昆崙山脈東端に位置しているが、遙かタクラマカン砂漠の彼方のような錯覚に襲われているが、そうではない。
青海湖は日本人が観光でよく訪れる蘭州(ランチョウ)市の西の湖。蘭州市は東北の秋田市と姉妹都市になっているので、中国からの留学生が秋田県にも来ている。そんな縁があって蘭州市で有名な「絲路花雨」というシルクロードを描いてた舞踊劇を秋田市で上演したことがある。
野鳥の会でも青海湖は知られている。湿地保護のためのラムサール条約で重要湿地に指定されていて、インドガンなどはインドで越冬した後に青海湖に飛来している。
蘭州市と青海湖を結ぶ中間地に西寧(シーニン)市がある。平均海抜2260メートル、周りを山に囲まれた天然の避暑地として有名。西寧の名は「西陲安寧」からくる。”西端の地を平穏に”との意味なのだが、その平穏が乱されているのではないか。
北方系日本人のルーツはバイカル湖周辺のブリヤート・モンゴルだというのは、DNA鑑定でも証明されている。中国南部や朝鮮半島からのDNAを持つ者の数が想像するよりは少ない。多分、農耕技術という高度の文化を持った弥生人だったから、原日本人である縄文人を制圧するのに多くの数が必要ではなかったのではないか。
しかし制圧されても縄文人の心は、日本人の深層心理に深く根付いてきた。大和朝廷に反抗した蝦夷の歴史がそれを証明している。東北人である私がバイカル湖や青海湖に心を惹かれるのは、そのせいではないかと思う。
モンゴルやチベットに対する関心も深い。相対的に漢民族や朝鮮民族には距離を置く姿勢が解けない。それだけにチベットの動乱は無関心でおれないし、それを軍事制圧してきた漢民族の中華思想は容認できない。媚中派を嫌う理由もそこにある。偏見と独断といわれようが、いまさら宗旨替えするつもりはない。
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