青蔵鉄道に乗ってチベットへ行こう、という虚ろな叫びの結末。宇宙衛星からチベット観測は一万人の死傷者がでている模様、という。
▼チベットの悲哀 (宮崎正弘『中国は猛毒を蒔き散らして自滅する』(徳間書店)より抜粋します)
06年7月1日に西寧からゴルムト、ラサ間に開通した世紀のプロジェクト、「チベット(青蔵)鉄道」を中国のメディアは巨大なほど大きな記事にして扱っていた。
たまたま筆者はこのときも現場に居たので中国の新聞各紙を読むと、一番切符を買った人、乗った人へのインタビューに埋まっている。
開通式典は中国共産党成立85周年のパレードや記念行事に強引に合わせた。辻褄合わせのように青蔵鉄道の部分開通を無理矢理この日にしたのだが、庶民の反応はまったく関係がないという雰囲気だった。
チベット高原鉄道は一応の完成をみて、日本の週刊誌も大きくグラビアがでた。日本から数十人のカメラマンが取材に行ったのだ。
さて開通から三ヶ月、各地でレールに亀裂が走り、台座がひび割れ、線路補修の難しさと高山病による乗客の死亡事件がおきた。
とりわけ注目されたのは06年8月30日に起きた事故。重慶発ラサ行きの客車T23号がチベットへ入ってすぐの海抜4703メートルの錯那湖駅近辺で脱線した。全十六両のうち九両目から六両が脱線、乗客四千余名が厳寒の高原に五時間も救助隊を待つ仕儀になった。
この間、鉄道の電源が切れたため高山病予防の酸素が補給されず、しかも真っ暗闇の車内となって一層の不安を掻きたてたという。
この脱線事故の原因は凍土に亀裂が入って軌道を歪めたためだった(台湾の有力紙『自由時報』、8月31日付け)。
青蔵鉄道は960キロが海抜四千メートル以上の箇所を通り、そのうちの550キロが凍土だ。いったい、この鉄道は何年もつのかと開通直後から名状しがたい不安の声が挙がっている。
しかも青蔵鉄道には「冬眠」の季節がある。
厳冬の期間は零下三十度にもなり、観光客が来ないばかりか、レールの下の凍土が氷塊と化し、春の再開までに徹底的な補修工事のやり直しが必要となる。
世界的な俳優リチャード・ギアはこの鉄道を評して「侵略鉄道」とこき下ろした。
軍事筋は戦略的判断に偏りがちで、「一ヶ月以内で十二万人の軍を送れるからインドにとって、これほどの軍事的脅威はない」とみる。
しかし凍土というアキレス腱、冬場の戦争には役に立たず、巨額を投げ国を挙げての難工事のすえ、このプロジェクトは壮大な無駄に終わりそうなのである。
▼チベット語を喋れない若いチベット人
四川省の北、甘粛省にちかい、奥地の九賽溝まで行った。
チベット族の村々があるからで、はたしてチベット仏教はいかように守られているか大いなる興味があった。
成都からバスでじつに十二時間。黄金週間なら渋滞が激しいので十六時間はかかるという。途中、ランチタイムとトイレ休憩を挟んでも正味十一時間もバスに揺られた。
途中の景色は都会、近郊、農村、寒村、疎外地、荒れ地、山、禿げ山と進んでいく。道路の脇を流れる激流は山岳地帯へ入ると穏やかな流れと変わり、頂城近くにはミニ瀑布、棚田のような石灰の池。それがエメラルド・グリーンにみごとに変わり、なるほど一帯の「九賽溝」と「黄龍」が世界遺産に指定されたことが納得できる。
ともかく九賽溝まではそれほど遠いのだが、道中をズラリと並んで走る観光バスの群れ。それも外国人観光客ではなく国内からの中国人グループが主力なのだ。(嗚呼、中国人は豊かになったなぁ)
ホテルはどこもかしこも満員御礼。レストランも混み合って、土産屋も買い物客の殆どが中国国内からの休暇組である。
九賽溝は日本人にも人気があるが、じつはチベットについで中国国内の旅行希望地第一位となっており、猫も杓子も一度は訪れてみたい目的地に早変わり。温泉が出るわけではないが、ちょうど鬼怒川温泉郷の三倍くらいの規模だろう。
この九賽溝一帯にチベット族が多い。
有名なのは川主寺と黄龍寺だが、九賽溝のなかにある民族村のチベット仏教寺院に入ると仏壇に偽パンチェン・ラマの大きな写真が飾ってあった。
偽パンチェンは最近、こういう場所を頻繁に訪問しているという。それを写真に収め、スティタス・シンボルにして商売に活用しているチベット族が居るのは驚き以外の何ものでもない。
▲文化的アイデンティティを奪われているチベット
黄龍の麓のホテルで足裏マッサージを受けた。チアン族とチベット族が棲み分けており、経営者が漢族だ。
チベット族の若い女性が揉んでくれた。
「兄弟姉妹は何人?」。
「三人です。私が長女」。
「北京に行ったことある?」と私。
「ないわ。でも上海には行ったことあるけど、お客さん東京? 東京は上海より綺麗?」
屈託も生活苦の風情もなく、色白でチベット族とは思えない世代である。彼女と必然的にパンチェンラマの話になったが信仰心が漠然とあっても、パンチェンにはなにほどの興味がないのも驚き。
「あなたはチベット語、しゃべりますか?」と筆者は話題を変えてみた。すると、
「ちょっとだけ。でも両親はチベット語を喋るけど」。これも衝撃に近い意見である。
この非政治的な反応は一種の驚きを越えて、まさにダライラマ猊下が懸念するように、チベット族居住区での非チベット化がこれほど激甚かつ迅速に深化している現実を目撃した感じだった。複数の住民におなじ質問をしたが答えも同じだった。
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1656 衛星観測で一万人の死傷者 宮崎正弘

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