マッカーサーの功績は比較的よく知られているが、吉田は戦後世界の「謳(うた)われざる英雄」の一人だろう。・・・「指導者とは」(1986刊)より R・ニクソン米大統領
精力的だが他者への配慮を忘れず、思うところは臆せずに言うが政治技術にも秀でた吉田は、没我の人、心底からの愛国者であり、戦後世界にそびえる巨人だった。」
ニクソン元大統領が書いた本で、吉田茂が取り上げられた順番は、チャーチル→ドゴールについで三番目です。正確には「マッカーサーと吉田茂」ですが、ソ連や中国、独逸などの指導者より順番が前なのが興味深いです。その秘密を引用しながら検討してみましょう。
■弱点の克服
” ときに独断専行なきにしもあらずだったが、吉田は決断の前に、専門家や助言者の意見をよく聞く人でもあった。新しい状況や説得力ある意見が出てきたときには、いたずらな誇りや強情から自説を固持することがなかった。自分より経験ある人の説には、喜んで耳を傾けた。
たとえば、経済政策にはやや弱いのを自覚していたので、アイゼンハワーと同じように、経済については官僚よりも実業人の意見に傾聴し、財界人を閣僚に起用する数少ない総理大臣の一人になった。
さらに大切なのは、ドゴールやアデナウアーと同様、池田勇人のような有能の士を蔵相に据えたことである。”
■本質を掴(つか)む
” 経済に弱いと自認してはいたが、経済問題の基本的なポイントは、本能的につかんでいた。戦後の国際市場競争に勝つには生産設備の近代化が不可避だと知っていたのは、その一例だろう。冗談まじりに、 こう言ったことがある。
「空襲によって国土が灰燼に帰したのは、かえってしあわせだった。いまのうちに新しい生産機械を設備すれば、戦勝国よりはるかに高い生産性を持つ一流工業国になれる。古い機械を壊すにはたいへんな費用がかかるが、敵がそれをやってくれたのだ」
むろん、おどけて言ったのだが、結果的には完全に吉田の言うとおりになった。”
■相手を惹きつける魅力
” 吉田はよく、外交の場にもユーモアを利用した。戦後、東南アジア諸国は一斉に日本から戦時補償を求めたが、インドネシアのスカルノ大統領を迎えた吉田は、いちはやく大統領訪日の主目的を察知し、逆手をとって、微笑しながら切り出した。
「閣下のおいでを待っておりました。インドネシアは、いつも台風を送って下さるので、われわれは大被害を受けています。ぜひ補償をしていただきたいと、前から御来日を心待ちにしていたのです」
そこで大笑いしたので、さすがのスカルノも毒気を抜かれ、補償問題を持ち出せなかったそうである。”
■吉田さんを駆り立てたもの
ニクソン氏が、吉田氏の親族から聞いた話では、彼―「臣 茂」は日本人を心から信じていて、指導者さえしっかりしていれば、祖国の復興は必ず成ると信じて疑わなかったそうであります。
昨今、新米・親中・親北朝鮮の多いなか、軸足のしっかりした「親日派」の指導者が必要とされております。古風ですが、吉田さんの姿勢には学ぶべき点が多いでしょう。
お勧めサイト・「神の国・チベットで暴動 古沢襄」
杜父魚(かじか)文庫ブログ
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1664 戦後復興に学べ(続編) MoMotarou

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