媚中派はチベット問題になると押し黙る。中国の内政問題だから干渉するわけにいかないというのが建前であり理屈である。台湾問題についても同じ姿勢をとる。百歩譲って、その理屈を認めよう。だが中国の国内で行われているチベット人に対する圧政に耳をふさぎ、目を閉じていてよいものだろうか。
明治から大正時代にかけて日本人は漢民族の独立運動を積極的に支援した歴史がある。北方の異民族である女真・満州族によって支配された清王朝の圧政から立ち上がった孫文ら革命家に共感を持ったからである。清王朝の内政に干渉しないという理屈や態度はとらなかった。
圧政に対して立ち上がる民衆に共感を持ち、支援しようというのは人間の自然な気持ちではないか。それを内政不干渉の理屈で片付けててはいけない。軍事的な支援をしようといっているのではない。圧政を非難し、心情的な支援をしようというのである。
チベットは中国側からすれば地政学的に重要な地域である。かつてはイギリスがチベットを軍事占領し、あるいはロシアがチベットと友好的な時代もあった。チベットはインドやモンゴルとの関係がよいが、漢民族とは仲がよいとはいえない。
インドはロシアとよく、中国とは国境紛争を重ねてきている。逆に中国はパキスタンと結んでインドを牽制してきた。この構図の中で中国はチベットを軍事占領した。形は違うが南下するロシアを意識して、満州国を作った戦前の日本と似た構図である。
地政学的にチベットが中国にとって重要というのなら、圧政によってチベットを支配する企ては放棄して、異民族との融和政策に力を尽くすべきであろう。共産主義思想を押しつけるのではなく、仏教国であるチベットのラマ教を保護すべきなのだが、やっていることは共産主義思想の押しつけだけでなく、少数宗教であるイスラム教(回教)を使って、国内の宗教対立を煽っている。
これでは一時的にチベットの軍事制圧ができても、僧侶を含めた民衆の抵抗運動が地にもぐり、ますます先鋭化する。しかもラマ教はチベットだけでなく中国西部の西域で広く信仰を広めている。チベットの紛争は西域に波及する危険がある。
力で宗教を圧伏させるのは無駄な試みといわねばならぬ。ソ連時代に圧伏されたロシア正教がソ連崩壊後はロシア全土で復活して民衆の心の支えとなっている。共産主義が消えてもロシア正教やラマ教はなくならない。その歴史の重みが違うからである。
共産主義国家は政治的な官僚国家といえる。宗教や文化、伝統を官僚的な統制で律することは、百年ともたない。ソ連の崩壊がよいお手本なのだが、中国は官僚国家の手法でチベットを押さえつけようとしている。それが無駄なことは歴史が証明するだろう。
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1669 圧政に耳をふさぎ目を閉じる 古沢襄

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